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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

秘密結社的なものを作って助け合いを行うと面白いかも、という件

僕が子どもの頃、テレビ番組で仮面ライダーやウルトラマンなどのヒーローものが好きでよく観ていた。正義のヒーローに感情移入するのは当然として、僕は敵役にも面白みを感じていた。 世界征服を企む「秘密結社」というものに甘美な想像力を掻き立てられたの…

平日の昼間から酒を飲む人を見ても何とも思わない、そんな社会になればいいという件

平日の昼間から酒を飲んでいる人を見れば、真っ当な人は眉を顰めるだろう。その感覚がマジョリティの持つ至極まともなものである。 オフィス街と住宅地を往復するような生活を送っていれば、平日の真昼間から酒を飲んでいるような人には出会わない。そのよう…

労働者の当然の権利を主張しただけなのに、変人扱いされるのはおかしなこと、という件

この社会では自分が有する当然の権利を主張することが憚られる風潮が未だにある。ちょっとした権利を主張しただけで、変人扱いをされたり、扱いにくい奴だとレッテルを貼られたり、ひどいときには村八分に遭ったりする。 例えばブラック企業を相手に闘う人が…

「役に立つ」かどうかだけで人を選別してはならないという件

社会や人様の役に立つ仕事がしたい、という人が結構いる。特に若い人たちにこの傾向が強いらしい。社会起業が脚光を浴びているのも、カネ儲けだけではなく何か社会や人の役に立ちたいという意識の表れだと言える。 社会貢献を志向すること自体は良いことであ…

仕事ができるかできないかだけで人の価値は決まらないという件

僕はたびたびこのブログで労働至上主義的な風潮に異議を唱えてきた。仕事だけが人生じゃないとも述べてきた。 それらに関連して「仕事ができる」か否かだけを人の判断基準にする風潮にも疑問を感じている。 確かに仕事はできた方が良いに決まっている。仕事…

僕は体育会的なノリや価値観が嫌いだという件

僕はスポーツ観戦が好きである。野球、アメフト、ラグビー、駅伝などが特にお気に入りである。 僕はあまり運動神経に恵まれていない。よって運動部・体育会に入らずに学生時代は文科系のクラブやサークルに所属していた。高校時代はフォークソング部(今は軽…

サービス残業は会社による「収奪」だという件〈再掲〉

残業は本来は例外的なものである。 その残業ありきで業務内容を組み立てている会社や部署が多すぎる。 サービス残業を社員に強いてそのことによってようやく成り立っているような会社は即刻市場から退場すべきである。 初出 2016/5/6 会社に雇われて働くとい…

サラリーマンから足を洗うと人事の話ほど下らないものはないと思えてくる件

僕はサラリーマン時代上司や同僚と飲みに行くことが苦痛でたまらなかった。元々酒に弱いということもあるが、飲みの席での話がつまらなかったということが大きな理由だ。学生時代との友人たちとの飲み会が好きだったのは、取るに足らない話題でも語らうこと…

ダメ人間だからこそ楽しく生きていける件〈再掲〉

僕は世間で言うところの真っ当な生き方ができない。だから「ダメ人間」だと自称している。 ダメ人間でも矜持があり、プライドがある。それらを失わないためにも自堕落な生き方にならないよう気を付けている。 初出 2016/4/28 このブログで何度も書いているよ…

職業に貴賎はある、だが絶対的なものではない件

職業に貴賎は無い、という物言いは建前であり、偽善的なものの最たるものである。 あえていう必要もないが、職業には貴賤がある。今も昔も。 現在の社会において「貴」と見られる職業は報酬が高く、社会的威信の高い仕事である。例えば、高級官僚、医者、弁護…

社会保障制度によって困っている人たちがみな救われるわけではないという件

僕は人生に躓いた人を救うためにもセーフティネットの拡充は必要だと主張している。 人が生きていく途上で何らかのアクシデントに遭う可能性は高い。たとえ「普通」に生きていても、災害に遭ったり、会社が倒産したり、リストラされたり、病気になったりする…

社労士時代にしてきたことを軽く懺悔する件

僕は30代初めのころから40代の半ばまで大阪市内を拠点にして社会保険労務士事務所を営んでいた。 強い意志をもって開業したわけではない。当時は雇ってくれるような社労士事務所がほとんどなくて、会社に人事労務担当で就職するのも嫌だった。数校の専門学校…

リスクを避けることばかりに気を取られるとドツボに嵌るかもしれない件〈再掲〉

できることならリスクのない生活を送りたい、と僕たちは思っている。 そのために色々と手を打ちながら日々を過ごしている。 しかし、リスクを避ける生き方はなんとなく面白くない、と感じるのは僕だけであろうか。 初出 2016/4/21 今でも世の多くの親たちは…

僕は奴隷根性を自分の中から追い払うために日々闘っているという件

僕は常に自由でありたいと思っている。 完全なる自由など幻想に過ぎないことは重々承知している。 何物にも隷属せず、自分の頭で考え行動し、己の生き方を指図されない、という程度の自由を僕は求めている。 その僕なりの自由を得るためには「奴隷根性」を無…

「正々堂々と戦え」という奴らに付き合う必要はないという件

「正々堂々としろ」というのは強者の論理である。強者に都合のよい物言いである。 圧倒的に優位な立場にある者が自分の優位性を保持し続けるための世迷言である。 正々堂々と戦うことが絶対的に正しいわけがない。 しかし、世間では策を弄したり、ゲリラ的な…

意識して作った人脈はほとんど役に立たないという件

僕が社労士事務所を営んでいたころに(10年以上前)「人脈つくり」ブームが巻き起こっていた。長期間不況が続き、それまでの社内で完結した人脈だけではどうにもならなくなってきていたのだろう。あちらこちらで異業種交流会が立ち上がり活況を呈していた。 …

借金をすることは悪でも罪でもないという件

世間では借金をするという行為自体を忌み嫌う風潮がある。 例えば有名人が借金をしていて、しかも返済が滞っていることがバレればものすごいバッシングを受ける。ワイドショー番組では頭の悪そうなレポーターに根掘り葉掘り詮索されたりする。その有名人が自…

仕事を最優先することが当然のことなのか、という件

僕はこのブログで仕事は人生の一部に過ぎないと何度も主張してきた。僕にとっては人生=仕事という考え方はどうしても受け入れがたいものなのだ。 とは言え、生活を成り立たせるため、社会とのつながりを保つためにも何らかの形で仕事をしなければならない。…

雑多な人たちがいる集団に身を置く経験が大切だという件〈再掲〉

均質的な集団にずっとい続けることは危険である。 多様な生き方や価値観を認めることができない人間になる危険性がある。 多種多様な人たちと出会い、触れ合うことによって人は成長する。 初出 2016/4/12 当たり前の話だがこの社会には様々な個性・経歴を持…

すぐに「みんな」を持ち出すような輩の言葉など無視しでもよいという件

ある意見を封殺する言葉に「みんなはそう思っている」「みんなはそう思っていない」「みんなの意見に従え」等がある。 「私はそう思う」ではなく、「みんな」を用いるところに嫌らしさがある。 この「みんな」を使うことによって、自分の意見は多数派であり…

働きたくないと思うのはある意味まともであるという件

僕はこのブログでたびたび働きたくないと公言している。「仕事」をすることは嫌いではないけれども、雇われて働くことがたまらなく苦痛なのである。 世間の常識や良識からすると「働きたくない」と口にすることは自殺行為である。働きたくないと思っているこ…

「安定」よりも「安心」が大切である件〈再掲〉

僕は安定を志向することを否定はしない。 しかし、安定なんて幻想に過ぎないんじゃないかと常に思っている。 安定ばかりを追い求めていると、大切な何かを失うのではないか。 初出 2016/4/5 大抵の人たちは安定した生活を望んでいる。 また、大抵の人たちは…

政治家の劣化や小粒化は有権者の責任ではないという件

政治家たちの政策の失敗や不祥事が起こると、それらの政治家を選んだ有権者に責任がある、と物知り顔で言う輩がいる。 政治家たちの無能・無策・無責任さは政治家自身の責任のみを問うべきである。 国民の代表として選挙で選ばれたからには、国民の生活を守…

たとえ「偽善」であっても善い行いをすることは何もしないよりもずっとましである件

ある人が善行をした際に必ずと言っていいほどそれは偽善だ、なんてことを言いだす輩がいる。 大金持ちが多額の寄付をしたり、弱者救済の基金なんかを立ち上げたりすると「売名行為だ」とか「善人ぶりやがって」などといった批判を訳知り顔でなす残念な人たち…

凡人は野垂れ死ぬしかない、という暴論は絶対に許せない件

先日ある(自称)識者が出演している動画を見ていた。「働き方」や労働問題に関するテーマだった。 僕はこの識者のツイッターをフォローしていてブログも更新するたびに読んでいた。件の動画を見るまでは僕はこの識者に好意的であった。 しかし、動画の最後…

人との「違い」や「差異」にこだわりすぎるのはどうかと思う件

当たり前の話だが人それぞれに個性があり違いがある。 この社会では以前からずっと「個」の時代が来たと言われている。 また、多様化・多元化した社会にならないといけないとも言われている。 他者との差別化や差異化等の掛け声は聞こえはいいが色々と問題を…

「不良社員」がもっともっとのさばってもいいという件

僕は雇われて働くことがイヤである。 ただし現実問題として、生活していくためにはカネを稼がなければならない。大方はどこかの会社に雇われて労働者としての道を歩むことになる。 会社に雇われて働くにしても、僕たちは会社に完全に隷属してはならない。僕…

サラリーマンという働き方が「まとも」だという考え方を捨てようという件

会社や役所という組織に雇われて働く人たちが大多数になっている社会ではその価値観がサラリーマン仕様になるのも仕方がない。 学校を卒業してブランクがなくどこかの会社に雇われて働く、特に正社員として働くことが真っ当な社会人だとされている。やれ多様…

「落ちこぼれる」ことを何とも思わなければ楽に生きていける件

僕たちは学校でも会社でも競争を強いられてきた。 落ちこぼれたら後はないぞ、と強迫され続けてきた。 レールから外れて落ちこぼれても何てことはない、と開き直れた者が実は一番強いのである。 初出 2016/3/15 僕たちは「落ちこぼれ」になることを極度に嫌…

生活困窮者に「仕事を選ばずに働け」「早く自立しろ」と強いるのは暴力であるという件

僕は自立のための就労支援は必要であり、その理念は正しいと思っている。働ける人は働いた方がよい。 問題はそのやり方である。 生活保護の打ち切りを重視するあまりに劣悪な労働条件や意に反した仕事でも無理に働かせることはあってはならない。 そもそも生…

社畜から脱するための第一歩は有給休暇をためらいなく取ることだという件

僕が働きだした頃はバブルのイケイケ時代だったので、長時間労働やサービス残業、有給休暇が取れないといったことはさほど大きな社会問題として扱われていなかった。 僕が公務員を辞めて社労士事務所を始めた90年代の半ばごろから労働時間の短縮や有給休暇の…

サラリーマンに教養は不要である件

僕は戦前の旧制高等学校に憧れを持っている。そこで育まれたと言われる教養主義的なエートスに憧れている。 僕には教養が欠けている。そのことを自覚しているがゆえに一冊でも多くの良書に巡り合いたいし、一冊でも多く良書を読破し自分の血肉にしたいと思っ…

困っている人を見かけたらちょっと手助けするをすることが当たり前になればいいという件〈再掲〉

僕たちは困っている人を見れば無下にすることはできない。大抵の人は自分ができる手助けをするだろう。この助け合いの精神がなくならない限り、この世に絶望することはない。 初出 2016/3/1 人は太古の昔から助け合って生きてきた。 狩猟をメインとしたとき…

僕は「不届き者」であり続けたい件

僕は今のこの世の中の様々な物事に怒りを感じたり違和感を覚えることが多い。だからこのブログを書き続けている。 僕が常に心がけているのは安易に多数派に与しないことである。常識や良識を妄信しないことである。この姿勢をとり続けていくと、必然的に「反…

「みんな」と同じような生き方なんてしなくてもよい件〈再掲〉

僕は事あるごとに「みんな」を持ち出してくる人たちが嫌いだ。 この同調圧力を正当化する「みんな」という言葉が死語になる日が来ることを切に願っている。 初出 2016/2/25 20代の後半から30代の頃、やたらと結婚を勧められた経験がある。ありがたいことに見…

介護職、聖なる職ではなく賤なる職でもない件

僕は以前このブログで介護や福祉の仕事は特別なものではなく普通の仕事に過ぎないと書いた。介護職を特別視すると様々な弊害が生じるとも書いた。 今回のエントリーではなぜケアワークが神聖視されたり、逆に卑賎視されたりするのかを考察してみたい。 奈良…

会社に過剰に適応することは危険だという件〈再掲〉

僕たちは様々な環境に適応する力を備えている。 組織に順応する能力はそのうちのひとつである。 しかし、ものには限度がある。過度に適応をしようとすると、そこには様々な弊害が生じることになる。 初出 2016/2/16 僕たちは生まれてからずっと自分が置かれ…

漂泊する芸能民・遊女と差別について考えてみる件

歴史上最も古い職業は芸能民と遊女と占い師だといわれている。これらの職業はシャーマニズムとアニミズムに源流がある。太古の昔の人たちは芸能の民や遊女に畏敬の念を抱いていた。普通の人たちからすると、神懸り的なものに見えたからだ。 そして、国家体制…

住宅政策は社会保障制度の根幹である件

衣食住の中でも「住」の確保が最もカネがかかる。 そして「住」のレベルがどの程度のものかは社会政策が機能しているかどうかの判断基準となる。残念ながらこの国の住宅政策はとても貧弱であり、社会政策のレベルは低いと言わざるを得ない。 労働者の所得は…

転職を繰り返すジョブ・ホッパーこそが組織に縛られない働き方であるという件

今はかなり様相が変わってきたが、何度も転職を繰り返す人は高い評価を得ることができなかった。たとえ能力に秀でていても「堪え性がない」「協調性がない」とみなされて会社社会では評価されなかったのである。 ある人が犯罪を犯したときにその経歴を伝える…

「我慢」なんて全然美徳ではない件〈再掲〉

人は生きていくうえである程度の我慢は必要である。 しかし、我慢することを必要以上に神聖視したり絶対視すると様々な問題が起きる。人としての尊厳が損なわれる場合もある。 初出 2016/2/12 僕たちは幼少時から我慢することを我慢の大切さを教え込まれる。…

公務員を辞めたことは本当にもったいないのか、という件

僕がかつて地方公務員だったこと、公務員を辞めたことを言うと「もったいない」という反応がとても多かった。 その際にいつも僕は思っていた。 どうして「もったいない」のだろうかと。 僕は公務員という仕事に面白さを見出せず、また自分には全く合っていな…

内面や私生活に介入されたくない件

僕たちはどのような思想や信条を持とうとも自由である。たとえそれらが現体制の破壊を企図するものであっても内面で留まり表立っての行動に出ない限り自由を侵されることはない。また自分の私生活を他者にとやかく言われる筋合いもない。 こんなことを書くと…

組織のトップはバカのほうが良いのかという件

江戸時代には「主君押込め」という思想があった。 藩のためにはならない主君を家臣団が結束して隠居に追いやることを正当化した理論である。 徳川幕藩体制下の各藩では藩主が独裁体制を敷いていることが稀であり、大半は家老を中心とした合議制によって藩の…

家柄や生まれによって生き方が決まるのは不条理である件〈再掲〉

相変わらずこの国では「家柄」に対する幻想がある。 ある人の能力や人格に家柄は関係ない。 家柄に対する幻想がなくならない限り、世襲もなくならない。 初出 2016/2/4 僕は貧困問題に多大な関心がある。行き過ぎた格差についてはこれを是非とも失くすべきだ…

「完全」や「健康」ばかりを求められる社会はおかしいという件

僕たちは不完全な存在である。 だからこそ完全な存在である「神」という概念を創りだし、宗教を生み出したのだ。 自分が不完全な存在であることを知り、それを超越しようとして様々な知的活動を営々と続けてきたのである。 しかしながら、僕たちは実生活にお…

有名企業に採用されたからといって自分が優秀だと勘違いしてはダメだという件

初対面の人と言葉をかわすときに、僕たちは大抵相手の勤めている会社を聞いてしまう。相手の勤め先をランク付けして、そのランクによって相手の値踏みをするのだ。そうすると相手の勤め先が上場企業であったり、有名企業だったり、官公庁だったりするとラン…

「いいかげん」で「適当」なことは良いことだという件〈再掲〉

僕は「ゆるく」ものごとを考え、生きていきたいと思っている。 そのために「いいかげん」で「適当」である自分を肯定している。 必死になって完璧さを追求しても、それが楽しい人生につながるとは思えない。 初出 2016/2/1 生真面目な人、完璧主義者といった…

この社会では「自己肯定感」が徐々に奪われていくという件

この世知辛い世の中で生きていくためには自己肯定感を持ち続けることが大切になってくる。 自分はこの世に存在していてもいいんだ、と思えれば大概のことは克服できる。 僕がこれまでに何とか生き延びることが出来てきたのは自己肯定感を失うことがなかった…

会社で「できない奴」扱いされても悲観することはない件

会社で雇われて働いていると程度の差はあれ上司や同僚からの評価が気になる。その評価が待遇に直結していたら尚更である。 他人にどう思われようと気にしないように努めてもやはり評価は気にする。 これは人の持つ性なのだろうか。 ある会社での評価はそこで…