希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

生きるということ

いつの間にか余計なプライドがなくなってきたという件

僕は元々プライドが高い人間だった。 そのせいで人間関係において軋轢を生んだりしてきた苦い思い出がある。 若い頃は「俺はこんな程度の人間じゃない」「俺はもっと高みにいけるはずだ」との思いがあり、それが僕を縛り付けていた。 人が生きていくうえで矜…

「不安定」は本当に悪いことなのかという件

多くの人たちは幼少時から「安定した」仕事に就いて「安定した」生活を営むことが絶対的な善だと刷り込まれてきている。 「安定神話」の呪縛に囚われているのである。 そのための前提として安定は善で不安定なことは悪だとの思い込みがある。 不安定という用…

道草を食ったり、寄り道をすることは楽しいという件〈再掲〉

目的地に向かって脇目もふらずに突き進む、という態度が推奨されている。社会に出ても学校教育の場においても。 効率性重視のこの考え方を僕は好まない。 初出2019/3/13 僕が小学生あるいは中学生のころ、学校からの帰路に道草を食うことがその頃の楽しみだ…

半分遁世、半分俗世という生き方をしたい件

僕はひそかに「隠棲」に憧れている。 吉田兼好や西行のような生き方に憧れている。 この俗世を捨てて、栄達や出世に背を向けつつも世間をシビアに見つめ続けている。 達観しているようで時には俗物性を出す。俗世から離れていても何らかの形で人々と関わり合…

「働けなくなったら、死ね」という社会はまぎれもなくディストピアであるという件〈再掲〉

今政府は70歳まで働けと国民に強いようとしている。 人は働くためだけに生きているわけではない。 人は働くためだけに生まれてきたのではない。 初出 2019/3/7 僕たちは特別な状況に自分が陥らない限り、自分が働けなくなった時のことを想像できない。心身の…

サラリーマンができないからと言って、人生の落後者ではないという件

サラリーマンとして働くことだけが真っ当な生き方ではない。 サラリーマンができないからと言って、その人が無能なわけではない。 当たり前のことを書いているが、世間ではこの当たり前が通じないときがある。 僕がフリーランスの講師業をしていたときや社労…

僕の引きこもり体験を書いてみるという件

僕は働きだしてから短期間だけれどもひきこもっていた時期がある。 ひきこもりに至るにはその人その人の事情があり、一般化してどうこうは言えないとは思う。 これから書くのはあくまで僕の個人的なケースであって、それをもってひきこもりに関する一般論に…

人は決して平等ではないという件

人は決して生まれながらに平等ではない。 これは市井に生きる人なら分かりきっている真実である。 恵まれた環境の中ですくすくと育つ人がいればそうでない人もいる。恵まれた資質や才能を持っている人がいればそうでない人もいる。 人は生まれながらにして人…

僕はこの社会の片隅で機嫌よく暮らしていきたいという件〈再掲〉

日々を「機嫌よく」暮らしていければ、それに越したことはない。 不機嫌に生きていると、様々な悪しき副産物を生む。 機嫌よく生きるためには、大層な条件が必要なわけではない。 初出2019/2/12 僕は毎日を機嫌よく過ごしたい。 今の僕の生活の指針はこれだ…

僕は自分のことを運がいいと思い込んでいるという件

僕はこれまでにまわり道をしたり寄り道をしたりの人生を送ってきた。 大半の期間がビンボー生活だった。 自分の思うようにならないことばかりだった。 でも、僕は自分のことを運がいいと思っている。 僕のこれまでの人生で「ヤバい」と思ったことは何度もあ…

認められたいとか役に立ちたいという意識を強く持たない方がよいという件

僕たちは誰かに認められたり、人の役に立っているという実感を持つと生きる活力が湧いてくる。「承認欲求」であり、それが満たされることによって人は充実感を得ることができる。 人は社会的な生き物であるので、承認欲求が社会を成り立たせる大きな要因にな…

カネがないと時間をつぶせないという人は危ないという件

何度もこのブログに書いているが、僕はヒマ人的生活を満喫している。 僕は「ヒマつぶしの達人」を目指している。それは余分なカネを使わずに楽しく面白く時間をつぶすことである。 僕は若い頃、時間つぶしが下手くそであった。 同時にカネを使わないとヒマつ…

僕は「まともな人」になりたいという件

ヒマ人的生き方を満喫し、根っからのダメ人間になろうとしてる僕だけれども、常々まっとうな人間になろうと自分なりに努力している。 僕が思う「まっとうな人間」とはおかしいことに対してはおかしいと言うこと、批判精神を持つこと、物事の本質を捉えるよう…

大人になってからの学びは楽しくて面白いという件〈再掲〉

自分の知らないことを学ぶことは楽しい。 学校を卒業して働くようになってから、ようやっと僕は学びの面白さに気付いた。 遅くはない。 初出 2018/12/26 学ぶことと「勉強」は完全に同一なものではない。 勉強にはどうしても強制というニュアンスがつきまと…

気合で物事を片付ける人を僕は信用していないという件

僕は昔から気合とか根性という言葉が嫌いである。 このブログでも何度も言及しているように精神主義的メンタリティというものがどうにも肌に合わないのだ。 ある課題があって、それを気合や根性で乗り越えろというのは即思考停止につながるものである。まと…

「善意」からの正しい行いほど厄介なものはないという件

世の中のほとんどの物事は「善意」から生まれている。 犯罪行為や故意に人を陥れるようなこともあるが、これはレアなものである。 僕たちは大抵は善意から発した言動については批判を許されないことになる。実はこのことが厄介なのである。 ある言動が善意か…

「庶民のリアリズム」なんてもはや幻想に過ぎないのではないか、という件〈再掲〉

権力者が変わろうとも自分の生活を成り立たせるために知恵を絞り、したたかに生きる、という庶民像は過去の遺物なのかもしれない。 均質化され、為政者に都合よくコントロールされた烏合の衆、それが実像なのかもしれない。 初出 2018/11/22 僕はこのブログ…

僕はカネの話しかしない人を信用しないという件

僕は長らくビンボー生活を送っている。 それがゆえにカネのありがたみをよく理解していると自認している。 日常生活には支障がないが、ちょっと値がはるもの、パソコンやエアコン等の耐久消費財が故障したりすると、途端に困ってしまうことになる。昨年、パ…

「自己責任論」を僕なりに考えてみるという件〈再掲〉

この国で声高に叫ばれている自己責任は、弱者に対してのみ向けられる。 貧困を自己責任だと言い募るのは前世紀の遺物である。 自己責任を押し付けることによって、責任逃れをしている輩は数多いる。 初出 2018/11/13 僕は巷間にあふれている自己責任に関する…

僕は未だに「自分の好きな仕事」「適職」が分からないという件

僕はこの歳になっても未だに「自分が好きだと思える仕事」や「適職」が分からないでいる。 今までいくつかの職種に従事し、フリーランスで仕事をしてきたが「これといった」ものに出会っていない。もしかすると、死ぬまでそれらが分からないままでいる公算が…

「時間を大切に」ではなく「時間をムダにしろ」と言いたい、という件

「時は金なり」。この俚諺は古来より金言とされてきた。 一瞬一瞬のその時を大切にせよ、という言葉はまちがいなく正しい。 一生は限られているのだから、それを無駄にするような時間の使い方をしてはならない、というのも正しい。 ひねくれ者の僕はみんなが…

敷かれたレールから外れても、何とか生きていけるという件〈再掲〉

きちんと高校や大学を卒業して、新卒で会社に就職して、家庭を築いて・・といったライフコースから外れても人は生きていける。 「正しい生き方」なんてこの世には存在しない、と考えた方が生き方の選択肢も増えて、生きづらさが軽減される。 初出 2018/10/4 …

今から思うと、僕はダメダメサラリーマンだったという件

僕は自他ともに認めるダメ人間である。 ビンボーヒマあり状態にどっぷりと浸かっているダメ人間である。 そんな僕ではあるけれども、若い頃はバリバリと働くサラリーマンだった・・・ということはない。 思い返せば、典型的なダメサラリーマンだった。 最初…

世間の標準からズレた生き方をすれば楽しいかもしれないという件

この社会は「みんな」と同じ行動をとれという同調圧力が強い。また幼少時から協調性を獲得することが重んじられる。 そしてさらには「世間」という厄介なものもある。 世間の目というものを強く意識しないと(時には無意識的に)いけない。 僕たちは知らず知ら…

下り坂をそろそろと下りていこう、という件〈再掲〉

僕はもう人生の折り返し地点を過ぎてしまった。 これからは心身の衰えと折り合っていかなくてはならない。 そのための生き方を模索中だが、イメージしているのは下り坂をゆっくりと下りていくといった感じのものである。 初出 2018/9/27 僕は中年のオッサン…

「やればできる」とは相手を追いつめる言葉であるという件

僕は今、仕事のひとつとして進学塾の講師をしている。 担当している受講生はそれほど多くはないが、それぞれにタイプが異なっている。 何も言わなくても自発的に学習に取り組む子もいれば、いまひとつ意欲がない子もいる。 塾のできることは限られている、と…

道草を食ったり、寄り道することは楽しいという件

僕が小学生あるいは中学生のころ、学校からの帰路に道草を食うことがその頃の楽しみだった。友達と連れ立って通常の帰り道から外れたり、駄菓子屋や本屋に寄ったりすることがささやかな楽しみだったのだ。友だちと道草を食う行為の共犯関係になることでより…

「働けなくなったら、死ね」という社会はまぎれもなくディストピアであるという件

僕たちは特別な状況に自分が陥らない限り、自分が働けなくなった時のことを想像できない。心身の病気になったり、心身に障害を負ったり、劣悪な労働の条件の会社に勤め続けて消耗して退職を余儀なくされたり、ただ何となく今の仕事が嫌になったりと、これら…

僕の黒歴史、それは中学時代であるという件

僕は学校というものに不信感を抱いている。 小学生の時に不登校になり、その不信感は拭い難いものとなった。 そして、暗黒の中学校時代を過ごすことによってそれは増幅されることとなった。 僕の中学校時代というともう30年以上も前のこととなり、記憶のディ…

「かけがえのない人」にはなれなくても、全く大丈夫であるという件

僕たちは幼い頃は全能感に包まれている。世界の中心に自分がいて、自分以外の他者はすべて自分に注意を注いでいると感じている。 年齢を重ね、自我らしきものが芽生えると同時に、実は自分という人間は取るに足らないどこにでもいるありふれた存在なのではな…