希望の舎―再生編ー

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「カネさえあれば、幸福になる」というイデオロギーからそろそろ脱するときであるという件

街ゆく人たちに「カネがあれば、幸せである」かと問えば、そうではないと多くの人たちは答えるだろう。カネで買えないものが世の中には多くある、友情や愛情とか精神的な安らぎなどはカネでは買えないと。

とは言いながら、大多数の人たちは度量衡としてカネをいかに多く稼げるかという指標を用いていることに違和感を抱いていない。事あるごとに、ある人を判断する基準として年収とか保有資産とかを引き合いに出していて、そのことに反感を多少は持つことはあっても全否定はしない。

 

幸福度とカネの多寡はある程度の相関関係があるのは確かである。必要最低限の生活を成り立たせるためには幾ばくかのカネが必要であることは論を待たない。

実入りが少ないときは、「もうちょっとカネがあれば」という思いが強く、収入が増えたり臨時収入があったりすれば、とても嬉しくなる。

しかし、ある一定以上の収入に達すると、カネのもたらす恩恵は少なくなる。カネよりも別のもの、精神的なものや人とのつながり等に喜びを見出すようになる。

つまり、幸福度とカネの多寡は完全には相関関係がないということになる。

 

幸福度とカネには完全に相関関係がないとは頭で分かっていても、僕たちは資本主義体制下の社会に生活していて、そのシステムではカネをどれほど稼げるかが唯一の度量衡になっていて、僕たちはその事実を受け入れている。

カネを稼ぐ能力は、人がもつ様々な才能のうちのひとつに過ぎない。速く走れたり、絵がうまく描けたり、文章が上手く書けたり、勉強ができたりといったものたちと同質のものである。

でも、現行の社会システム下では、カネを多く稼げる者が称賛され、強者となり、現行システムの恩恵を多く享受できる存在となる。

 

資本主義体制の下で生きている限り、僕たちはカネをいかにして多く稼ぐかという競争に巻き込まれざるを得ない。学校教育でそのように馴致され、働きだしてからはいかに稼げるか(それはイコール役に立つか)を周囲から求められる。そして、時を経ると、いつの間にかカネを多く稼げば幸せになるかもと、思い込むようになる。

 

僕の全くの個人的な考えではあるけれども、僕の思う幸福の要素とは、友人がいること(人とのつながりがあること)、自分の居場所があること、家族と良好な関係を築いていること、苦痛ではない仕事をしていること、等々である。カネを多く稼ぐということはそれら以下の副次的要素であると考えている。僕のこのような考え方は現実から逃避した絵空事だとの批判を浴びるかもしれない。

しかし、カネばかりを追求してきた結果が、ある種の人々にとっての生きづらい社会となってしまっているという事実から目を背けてはいけないと思う。

 

今、若い人たちを中心としてカネ至上主義から脱した価値観を有し、そのような生き方を志向し始めている。これは良い、健全な流れだと思う。右肩下がりの経済状況に最適の生存戦略である。カネ、カネといった右肩上がりの経済成長を是とする前世紀の遺物的な価値観とは全く異なるものである。

もはや「カネさえあれば、幸福となる」というイデオロギーからシフトチェンジするときなのである。

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