希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

昨今の政治状況について僕なりにつらつらと書いてみる、という件

僕はこのブログで政治に関するトピックスは意識して取り上げてこなかった。

色々と言いたいことはあるのだけれども、あえて避けてきた。

なぜなら、どうしても感情的になってしまうし、自分の「正義」を振りかざすことになってしまうのではないか、というおそれがあったからだ。

普段から「正義」を信じるな、と言い続けてきておいて、己の「正義」の言を聞け、というのは矛盾することである。

 

安倍政権の非道ぶりは言を俟たない。が、通り一遍の現政権批判をしても芸がない。

僕は無党派層に属する人間だが、政治に無関心というわけではない。

イデオロギーというものを信じていない立場から政治を考えるというスタンスを貫こうと思っている。

 

現政権を批判する人たちは、それが「独裁」だとか「ファシズム」の発露だといった言説を用いる。僕からすれば、「何を今更・・」という感じである。

僕は独裁もファシズムも嫌であり、そんな社会の到来を全く望んでいない。

だからと言って、お気楽に「民主主義を守れ」とのスローガンを叫んで悦に入るという態度も取りたくない。民主制も人権思想もひとつのイデオロギーに過ぎない。

 

今の政権の国会軽視やアカウンタビリティの欠如、ノブリス・オブリージュの欠片もない姿勢等を見聞きすると、やれやれといった感じはする。

しかし、よくよく考えてみると、現在の悲惨な状況に陥ったのは、この国の民主主義の末路であり、大多数の人たちが望んでいたことが具現化した結果なのである。

「みんな」が決めたことを「みんな」で守るのは当然であり、それに異を唱えるマイノリティ・異端者は排除するといったことが日常化した社会では当然に多数派による強権体制ができあがる。

昨今の政治状況や社会状況は民主制の機能不全によるものではなく、逆にそれが強く機能した結果として到来したものである、と僕は思っている。

共生すること、協働することに重き価値を置かず、自己決定・自己責任の論理こそが絶対的な価値だとする社会を望んだのは僕たちである。

資本主義体制が未来永劫続くものとしてそれを全く疑うことなく、その価値観を全面的に受け入れているのは僕たちである。

 

今のこの社会を覆っている価値観から逸脱した生き方を選んだダメ人間の僕は、社会の片隅に追いやられても、何とか自分の居場所を見出して、ひっそりと生き延びる途を模索している。これが今の僕にとっての最適な生存戦略であると信じている。

 

現政権のろくでもない政策が直接僕の身に危害を加えるようであれば(あるいは危害を加えそうになるのであれば)僕なりに抵抗しようと、心密かに思っている。

似たような考え方や価値観を持った人たちと連帯するかもしれない。

あるいはさらに内に籠り、世捨て人のようになるかもしれない。

こればかりは「そのとき」になってみないと分からない。

ただ、「みんな」の群れの中に身を投じることはしないと心に決めている。

 

「おごれるものは久しからず」。

どんなに堅牢に見えるシステムもいつかは必ず瓦解する。

どんなに栄華を誇った権力者もいつかは必ずその座から滑り落ちる。

人が作り上げたものなんて、どんなものでも時が経てば脆く崩れ去る、その程度のものである。

太古の昔から繰り返されてきたこの法則は、僕に勇気を与えてくれる。

いつまでもこんな状況は続かないという確信。

消極的に見えるかもしれないけれども、僕が厭世的にならなくて済んでいるのは、この確信があるからである。