私が子どもの頃、テレビでは心霊現象やUFOなどの怖い話・不思議な話がよく放送されていました。
私はこの手の番組が大好きでよく観ていました。
ただ、その頃から天邪鬼の私は楽しむと同時に「ほんまかー、作り話ちゃうのん」と冷めた感じでも観ていました。
オカルト好き、七不思議好き少年だった私はご多分に漏れず、歳を重ねるにつれて「科学万能主義」的傾向に寄っていきました。
オカルト対科学者といった番組では科学者側に立っていました。
宗教、特に勧誘の激しい新興宗教を毛嫌いしていました。
いや、むしろ敵視していたといってもいいほどでしたね。
ただ、今にして思えば完全にオカルト的なものを否定はしていなかったように思います。
私は何度もこのブログで書いているように大病を経験し同時に仕事を失うという、「人生どん詰まり」状態に陥りました。
そしてなんやかんやがあって、「奇跡的復活」を遂げました。
その私の恢復のきっかけとなったのが、スピリチュアルであろうが何であろうが効き目のありそうなことは試そうとある意味開き直ったことです。
そのことにより、現代医学以外の療法を知り、「心の置き所」が身体に大きな影響を与えることに気付いたわけです。
よくよく考えてみれば、この世の中不思議なことが山のようにあります。
大半は「怪しい」とみなされていずこかへ葬り去られます。
しかし、これらの「怪しいこと」とは単に常識や科学的エビデンスから外れただけの事象です。
合理的な説明ができないから「ないもの」「迷信」「思い込み」・・・などとレッテルを貼られているだけです。
昔は科学・医学・哲学と宗教とは混然一体になってました。
人を癒す行為は医術と呪術がごっちゃ混ぜになってたのです。
私は少し前から量子物理学の入門書を好んで読んでいます。
最初、その内容に度肝を抜かれました。
「言っていることが、オカルトやスピリチュアルとされているものとほとんど同じやん!」と・・・
疑い深い私は、複数の物理学者の著書にあたりました。
量子物理学で述べられている理論は今は「仮説」にすぎないということを考慮しても、まさに「目から鱗」でした。
私はあらゆるものを信じ込まない、けれども全否定はしないというスタンスを採っています。
私にとって「善きもの」であれば先入観をもたずに一旦は受け入れるという態度を貫くように留意しています。
この「善きもの」の判断基準は至ってシンプルでして・・・
効果がありそうなものということは当然として、「面白そうなもの」「楽しそうなもの」「ワクワクするもの」です。
もし、実行してみて私にとって好ましくないものだと分かれば、辞めれば済むだけの話です。
私は今よりもっともっと「寛容」になりたいと思っています。
そして、「ゆるく」「気軽」になるように心がけています。
これらを「心の置き所」のベースにして、日々を過ごしていたら知らず知らずのうちに幸運を呼び寄せる、と確信しています。
不思議な話やオカルト的・スピリチュアル的なものを否定しないこと、あるいは場合によっては受け入れるというスタンスを採ることはそのひとつの表れなのです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。