誰であっても人生は選択の連続です。
晩御飯は何を食べようかといった日常生活のささいな事柄から、どちらを選べば命が助かるか・・といったヘビーなものまで膨大な数に及ぶ選択の機会が与えられます。
どうあがいても、これは宿命なので逃れることはできません。
その選択の機会が訪れるたびにどちらにしようかと思案し決断するわけですが・・その決断は本当に自分自身が下したものなのか・・と時々疑問が湧きます。
他者から受けた意見や助言に影響をされすぎていないか・・・
そのことによって自分の意志が捻じ曲げられていないか・・・
そもそもそれらの意見等は「思い込みから生じた」常識にすぎないのではないか・・・
・・・と、色々なことが思い浮かんでは消えて、迷いが生じたりします。
特に現代のように情報過多の時代にあっては、自分自身の意図とは関係なく様々な話が目や耳に飛び込んできます。
マスコミやネット上の「情報」に常にさらされ続けます。
私は現代社会での情報の洪水状態自体は決して「悪」ではないと思います。
何も知らされない、知るすべもないような社会よりははるかにましです。
要は、受け取る側の私たちひとりひとりの問題なのです。
・・・ありふれた問題提起になってしまいましたが・・
自分が望む幸せを手にするためには、人生における選択の際にいかにして納得のできる道を進むかにかかっている、と私は考えています。
他者の意見とかマスコミの情報の渦にむやみに流されないためには、やはり自分なりの確固とした「判断基準」が必要です。
私の心の師である斎藤一人さんはそのご著書で「自分軸を持て」と繰り返し述べられています。
その「自分軸」を持つためには自分の判断基準を確たるものにする必要があります。
この「自分の判断基準を持つこと」は言うは易しですが、なかなかに思うようにはなりません。
人は社会と他者と常に関わり合いながら生きていますので、どうしても影響を受けます。
しかもほとんどの人は幼少時から「人の話はよく聞くこと」といった刷り込みがなされています。
「和」の国である日本では顕著です。
プラスして今は情報が飽和状態になっています。
では・・・どのようして自分なりの判断基準を持つかですが・・・
人それぞれ価値観や置かれている環境が違いますので、これ!といった答えはありません。
私なりに言えることとしては・・・
自分の直感と直観を信じることです。
特に自分自身がそれまでの人生経験や学びで得た智慧を基にした「直観」を大切にしてみると、何事も結構うまくいくことが多いように思われます。
そして、自助の精神を忘れないことです。
自分で決めたことだから、すべての責任は自分が負うという覚悟を定めることですね。
「肝が据わり」「腹を括る」とその決断におおきな間違いは起きません。
先に述べました「自分軸」が定まると、より幸せへの扉が開かれます。
同時に悔いのない人生を送ることができます。
私がここまで書き綴ったことが、皆さんの善き人生を送るための参考になれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。