「余計なことを考えるな」
これは様々な場面でよく使われるフレーズです。
同時に「よく考えろ」というフレーズも多用されていますね。
・・・どっちやねん!と言いたくなります。
まあ、考えなさすぎるのは良くない、さりとて考えすぎるのも良くない、といい塩梅にしてバランスを取っておけばいいということなんだろうと思います。
私は人を不幸にする諸悪の根源は「不安と恐怖」だと確信しています。
このブログでもこのことについては何度も触れていますし、これからも口酸っぱく言い続けようと思っています。
「余計なことを考える」と大概はロクなことにはなりません。
その原因としては余計なことを考えると不安と恐怖がより増してくるケースが多いからです。
余計なことを考えた結果、それはかなりの確率で「取り越し苦労」になります。
「余計なことを考える」ことは自分にとって善きことではない、とは分かってはいるもののなかなか辞めることができません。
考えるな、無心になれ、と意識すればするほど、雑念が次々と浮かんできて頭の中がパニックになります。
私たちの脳とはこのように厄介な代物なのです。
だからこそ、古来より先人たちは「無心」になる方法をあれこれ考え続けてきたのだと思います。
瞑想や座禅は代表的な手法です。
「余計なことを考える」ことを辞めるためにはどうすればいいか・・・と考えてみても・・なかなか良案は浮かびません。
瞑想や座禅、マインドフルネスなどは良さげですが、毎日続けるのは結構なハードルがあります。
私は幸いにも時間がありますので、ほぼ毎日瞑想タイムを設けて実践していますが、勤め人にはなかなかむずかしいだろうなぁ、と思います。
それに・・瞑想を実践していても、その効果を実感しづらいという負の面もあります。
ならば、発想の転換をしてみましょう。
つまり「余計なことを考える」のを無理に辞めるのではなく、そうなるのは仕方がないといい意味で開き直るのです。
余計なことを考え出したら、ダメなことと否定するのではなく、「ほら、またきた!」といったん受け入れ、自然に消えるのを待つのです。
余計なことを考えるのは悪いことではない、自分が今ここにいることの証だと捉えるわけですね。
・・・まあ、このやり方も簡単ではありませんが、なんとかなりそうと思いませんか?
そもそも、「余計なことを考える」のは時間に余裕があるからです。
豊かになったからでもあります。
昔の人たち、殆どの庶民は生きることに精いっぱいで余計なことなんて考えるヒマも余裕もなかったのです。
私たちは「余計なことを考える」ヒマと余裕がある現代に生まれてきたことに感謝する・・・
このような考え方ができるようになると、それは成長したことの証である、かもしれませんね。
最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。