希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/運気アップ/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケーシー/生きづらさ

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

社会システムの機能不全は個人の資質向上なんかではカバーできないという件〈再掲〉

教育や労働の現場で何か問題が起こると、責任者は個人にその責を負わせて収束を図ろうとする。再発防止のために研修や教育を徹底すると判を押したように答える。 システムの歪や不備を放置したままでは根本的な解決にはならないことは火を見るよりも明らかな…

下り坂をそろそろと下りていこう、という件

僕は中年のオッサンである。これからは年々体が衰えてくる。右肩上がりの成長は望めないし、またそんな生き方もできない。 死に一歩ずつ近付いているという実感がある。若いころのしなやかさや瑞々しさが失われて久しく、それらを懐かしむ心境に至っている。…

「自分磨き」をしても大抵はロクなことにはならないという件

僕は今、「成長」とか「自分磨き」とは無縁の状況にいる。 若いころはそれらにこだわっていた。 今日よりは明日、明日よりは明後日というように右肩上がりの成長を図ることが当然と考えていた。まったりと生きるということが考えられなかったのだ。 その当時…

「カネよりも命が大事」という当たり前のことを分かっていない人が多くいるという件〈再掲〉

カネと命を天秤にかけることは本来ならナンセンスなことである。 命よりもカネを優先順位の高位に置く人のことを守銭奴という。 昔は守銭奴は蔑称だった(今もその名残はある)。 守銭奴が大きな顔をできる資本主義システムは果たして良いものだろうか。 初出 …

「カネさえあれば、幸福になる」というイデオロギーからそろそろ脱するときであるという件

街ゆく人たちに「カネがあれば、幸せである」かと問えば、そうではないと多くの人たちは答えるだろう。カネで買えないものが世の中には多くある、友情や愛情とか精神的な安らぎなどはカネでは買えないと。 とは言いながら、大多数の人たちは度量衡としてカネ…

僕は「自分を大きく見せない」ようにしているという件

僕は殊更に自分を大きく見せようとする人が苦手であり信用できない。 社労士事務所を営んでいるときに、僕は自分を大きく見せようとしている人たちにちょくちょく出会った。会社でこんな凄いプロジェクトを任されているとか、俺はこんな凄い人と知り合いだと…

薄っぺらい正義がまかり通る社会は息苦しいという件〈再掲〉

底の浅い善悪二元論に今の世の中は毒されている。 正義の名のもとになされる弱者バッシングや少数派に対するバッシングが後を絶たない。 初出 2018/3/15 僕はほとんどテレビを観ない。 週刊誌の類も読まない。 芸能人や政治家のスキャンダルやゴシップは嫌い…

「強くなければ生きていけない」ような社会はいびつであるという件

僕たちは幼少時から様々な刷り込みをされている。 「強くなれ」 「早く自立して一人前となれ」 「人様に迷惑をかけるな」 「人に頼らずに一人で生きていけ」 ・・といったように「強くなければ生きてはいけないぞ」と思い込まされる。 今のこの社会の空気は…

人は自分が「有用」な存在だと思えると、自己肯定感が保たれるという件

人には承認欲求がある。 誰かからあてにされ、信頼されるとそれだけで嬉しい。 自分が誰かのために役立っていると、共同体の成員としての役割が果たせていると充実感を得ることができる。 しかしながら、誰かの「役に立っている」かどうかばかりに拘泥すると…

何故「ヒマ」を嫌う人が多いのだろう、と首を傾げてしまうという件〈再掲〉

多忙を極めていることを殊更に強調して自慢している人たちが僕は苦手である。 ヒマを持て余していて、そのことを隠さずにいてヒマな時間を楽しんでいる人たちが好きで共感する。 そんな僕は筋金入りの「ビンボー、ヒマあり」人間である。 初出 2018/3/8 この…

勤勉は美徳という思い込みが多くの人たちを追い込んでいるという件

僕は「勤勉」ではない、と自己規定している。 隙あらば仕事をサボろうとするし、実際によくサボってきた。 仕事や学校をサボると一時的な解放感を得ることができたけれども、同時に何となく罪悪感を感じたりもした。僕のようないい加減な奴でも勤勉は美徳だ…

「生産性」や「効率」とは無縁の世界で生きたいという件

僕は40代の初めのころまでは、生産性の高い人間になろうと悪戦苦闘していた。 仕事ができる人間が「レベルの高い」人間であって、そうでない人たちは使えない無用の存在だと思い込んでいたのだ。 負け犬にならないように、無理に無理を重ね続け、ついにはキ…

ビンボーは自己責任だけれども、貧困は自己責任ではないという件〈再掲〉

僕はビンボー人である。自己責任だと割り切っている。 しかし、貧困は単に自己責任だとは言えない。社会システムの不全が生み出している部分が大きい。ビンボーと貧困を混同してはならない。 初出 2018/3/1 以前にこのブログでも書いたけれども、ビンボーと…

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