私たちはついつい「平均○○」というものを見聞きすると、そのデータに気を取られてしまいがちです。
平均年収、平均寿命、平均初婚年齢などなどです。
「平均」なんてある分野での数値をならしただけのものに過ぎません。
平均より上が優れているとか平均より下が劣っているとか、一概に決めつける類のものではありません。
せいぜい参考にする程度のものです。
いや、モノによっては「あっ、そんなものなのか」とスルーしても一向に構わない代物だと思っています。
学生時代を思い返すと、特に高校生の頃までは「平均点」の呪縛に囚われていたかもしれません。
まあ、高校生になると赤点の方が気になったりもしますが。
全教科例外なく必ずクラス平均点や学年平均点が出されて、自分が平均より上か下かで一喜一憂したりします。
こんな茶番劇が繰り返されることによって、知らず知らずのうちに私たちは平均点をクリアしなければならない、あるいは平均点より上を目指さなければならないと思い込まされます。
繰り返しになりますが、「平均点」「平均値」はただの数字です。
そもそも、何らかのデータを平均することに意味はあるのでしょうか?
例えば、医療行為の中での検査ですが、正常値の範囲は病気ではないとされている人たちの平均値です(厳密にいえば若干異なりますが)。
確かに正常値より極端にかけ離れた数値であれば要注意でしょうが、多少の上下は気にすることはありません。
問題なのはその異常とされる数値を気に病みすぎることです。
そして、検査値を錦の御旗にして患者をコントロール下に置こうとする医者が多いことなのだと、私は思っています。
・・・と少しばかり話題が脱線しそうになっているので、元に戻します。
学校教育ばかりではなく、会社勤めをしても「平均点」の呪縛が続くこともあります。
さすがに昨今は変化はしてきていますが、以前は人事評価においてもよく見られたことです。
役人の人事考課(一部の大企業も同様)では、各項目を均して平均点以上の人が高い評価を得て出世していました。
ある部分が突出して優れていても他の部分でマイナスがあれば評価されなかったのです。
いわゆる「減点主義」的な評価基準を採っていたわけです。
昨今は、大学入試での推薦入試制度の拡充や入社試験の多様化や昇進基準の多様化等ガチガチの平均志向は影を潜めてきています。
私より上の世代や少し下の世代は先に書きました平均志向や減点主義的な評価基準が内面化されていたように思います。
若い人たちの状況はどうなっているのでしょうか?
彼らは「個性・長所を伸ばす」「ダイバーシティ」が声高に叫れている中で学校に通い就職した世代です。
本当にその通りになっているのか、あるいは形を変えた「平均化」「標準化」に晒されているのか・・・
私は世の中はより強く「画一化」「標準化」されてきていると考えています。
しかもよりソフトな形をとって・・・
新型コロナ騒動がそれに拍車をかけたとも思っています。
これはあくまで私の独断です。
要は、「平均点」や「平均値」等を必要以上に気にして、それを基にした行動様式を採っても面白くないし楽しくなさそうだ、と言いたいわけですね。
「平均」に近いか離れているか、それが私の幸せとは無関係なのは自明のことだとも言いたいのです。
「人それぞれ。自分は自分、他人は他人」と覚悟を定めて日々を過ごしていきたいですね。
皆さんはどう思われますか?
最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。