希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/医療人類学/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケイシー/生きづらさ/シャーマニズム

2017-01-01から1年間の記事一覧

勉強が嫌いなのは当然のことであるという件

世の多くの親御さんはわが子が勉強しなくて困り果てている。 別に教育ママ・パパではなくても自分の子にはきちんと勉強をしてもらっていい学校に入ってほしいと願うものである。昔の立身出世なんか望んでいなくて、そこそこで真っ当な生き方をして欲しいと願…

グローバル人材なんてバカでかい会社にとって使い勝手の良い労働者に過ぎないという件〈再掲〉

一時期やたらと「グローバル人材たれ」という言説が撒き散らされていた。 グローバリズムが進む資本主義体制下では労働者の待遇の下方均質化が進む。グローバル人材とは「安くこき使える」労働者に過ぎない。 初出 2017/4/18 僕の出身大学はやたらと「グロー…

全ての人が豊かになり満ち足りてしまうと困る者がいるという件

全ての人に必要なモノやサービスが行き渡り、貧困や戦争や飢饉がなくなった世界、それが僕が理想とする世界である。 おそらく多くの人たちも同じように考えるだろう。 人類はあるべき「理想の世界、理想の社会」を夢見て、その理想の社会を作り上げるための…

「カネの亡者」は悪人ではないという件

カネ儲けにあくせくしている人、カネに細かい人、カネに汚いのことを疎ましいと思っている人たちは多い。カネのことを大っぴらに話すことは何となく憚られる。 カネは生活を営むために必要不可欠なものなのに鬼っ子的な扱いを受けることがある。 僕たちは未…

自立とは誰かに「助けて」と言えることであるという件〈再掲〉

今は自己決定・自己責任において「個人」が自立して生きるべきだとされている。 自立した個人がデフォルトという社会が生きやすいものなのかは分からない。 助け合いや相互扶助が軽んじられる社会は人に冷たいものとなるのは確かである。 初出 2017/4/13 僕…

物事を結果論で語ることの愚、という件

僕は何事も結果論で語る人たちを信用していないし嫌いである。 ある結果に至るプロセスを分析し検討することは必要である。そのことによって次につながることもある。 しかしながら、そのプロセスの分析・検討と結果論とは似て非なるものである。 結果論を嬉…

僕が学歴エリートでなくなったことのメリット、という件

僕は大卒だけど学歴エリートではない。 東大や京大といった伝統があり超難関大学の出身ではない。 僕はこれでも高校時代は京大や阪大を目指し、学歴エリートの末席に連なろうとしていた。生き方の選択肢が少なく、偏った価値観を有していたため、学歴エリー…

「働かざる者、食うべからず」は残酷な言葉であるという件〈再掲〉

人は働いてこそ一人前だという概念が当たり前のものとなっている。 この当たり前とされている考えに疑問を抱かなければ思考停止に陥ってしまう。 世の中には働けない人が沢山いる。働けない人は一人前ではない、という切捨ての論理が蔓延る社会は不健全な社…

「お前のことを思って」した発言・行為を正当化してはならないという件

「お前のことを思って、言っているんだ」 この手の言葉に何度も出くわし、そのたびに嫌な思いをしてきた。 相手のことを思っての、善意に基づくものならば少々の暴言でも許される、という風潮がこの社会には蔓延している。 「相手のことを慮っている」体罰や…

僕が公務員を辞めた最大の理由は「安定」と「先々の保障」があると思ったからという件

「公務員を辞めたネタ」は何度もこのブログで書いていて、「いつまで言うとんねん」といった感じではあるけれども、ちょっとだけ好評なので図に乗ってまた書くことにする。 僕が公務員を辞めた理由は幾つかあって、それらが折り重なり合った結果「ええいっ、…

中間管理職なんて本当に必要なの、という件〈再掲〉

僕は殆どの上司はバカで使えない人たちだと思っている。 この偏った考え方は僕のルサンチマンによるものだ。 中間管理職なんて必要最低限の数だけ揃えておけばそれで足りるものである。 「飼い殺し」にするための管理職なんて不要である。 初出 2017/3/30 僕…

嫌いな人と付き合う必要はないという件

人との付き合いは厄介なものである。 相性が悪い人もいるし当然に好き嫌いもある。 真っ当な社会人ならば、特にサラリーマンならば好ましく思わない人とも付き合っていかなければならない。 人はひとりでは生きていくことができない。自分以外の人たちと色々…

最近「面倒くさい」かどうかで物事を決めるようになってきたという件

近頃の僕の口癖は「面倒くさい」と「邪魔くさい」である。 人に言うと角が立つので、ほぼ独り言でぶつぶつと言っている。 本当に俺ってダメ人間なんだなぁ、とつくづく思う。 世の仕事の多くは面倒くさいことを平らにする作業である。 邪魔くさいことを嫌な…

社会的弱者に対するバッシングほど卑劣な行為はないという件〈再掲〉

「強きを助け、弱きを挫く」 今のこの社会を覆う風潮である。 社会の、構成員たる人たちの劣化である。 弱き人たちをバッシングして嬉々としている人たちが多くいる、ということに暗澹たる気持ちになる。 初出 2017/3/16 社会的に弱い立場に置かれた人たちに…

完全な能力主義の会社なんて存在しないという件

僕はかつては能力主義の信奉者だった。 顧問先の会社に能力主義的な人事制度や給与制度を提案し構築したこともある。 コネや情実などは前時代的な遺物であり、「公明正大」な能力主義こそがあるべき姿だと思い込んでいたのだ。 僕は今でも能力主義の処遇が全…

適度に「棲み分け」ができている社会が生きやすいという件

人それぞれが持っている価値観は異なっている。 得意分野不得意分野もそれぞれ違っている。 好きなこと嫌いなことも当然に違っている。 自分が大切なことだと考えているものも異なる。 とても当たり前のことを並べてみたけれども、今の世の中は人を均質化さ…

他者の自由を奪うことは快楽につながるという件〈再掲〉

人は自由を奪われたときに耐えがたい苦痛や屈辱を感じる。 逆に相手の自由を奪ったときにはこの上ない快感を得ることになる。 この倒錯した感情が人を支配することや統制することへの導線となるのである。 初出 2017/3/14 僕は自由に生きること、自由であり…

「雇われて働く」と仕事をすることが苦痛になるという件

僕は雇われて働くということがたまらなく苦痛である。 世のサラリーマンが長時間労働やサービス残業をこなし、都市部では非人間的なラッシュの通勤地獄であっても日々休むことなく働き続けていることに敬意を覚える。 僕にはとてもじゃないができないことで…

弱い者いじめが蔓延するこの社会のどこに明るい未来を見出せばよいのかという件

学校でのいじめによる自殺事件が後を絶たない。 会社でのパワハラ、いじめも同様である。 この世は「強きを助け、弱きを挫く」というメンタリティを持った人たちばかりなのかと暗澹とした気持ちになることがある。 ただ、弱い者いじめが起きる原因を個々人の…

資本主義体制は「弱者」を次々と生み出すことによって成り立っているという件

資本主義体制下では持たざる者と持てる者との格差は拡大する。弱肉強食、優勝劣敗が資本主義に内在しているためである。 ただ、格差を放置していると社会不安を招く。かつては社会主義・共産主義革命が起こる可能性があった。現行の体制が崩壊しては元も子も…

「適職」や「天職」なんて幻想だという件〈再掲〉

その仕事が自分に合うかどうかなんて実際に働いてみないと分からない。 自分にピッタリとマッチした仕事に巡り合う確率はかなり低い。 それでも僕たちは生きるために働かなければならない。 今やっている仕事が天職でなくても全然構わない。 初出 2017/3/7 …

人と自分とを比べなくなってから、何となく生きることが面白くなってきたという件

僕の母は時々「あのまま公務員を続けていたら・・」といったことを未だに言うことがある。それと学生時代の友人たちが今どんなに社会的地位の高い仕事に就いているか、といった類のことも言う。 母に悪気はないことは分かっている。自分の息子の不甲斐なさを…

ニートやひきこもりをこの社会からなくしてしまえ、という考え方は間違っているという件

ニートや引きこもりの人たちの存在が「問題化」してから久しい。 数年前から政府もその重い腰をあげて対策に取り組んでいる。ニートや引きこもりの人たちに対して自立を促す民間施設も数多く設立されている。 しかし、有効な改善策が打たれたかというと疑問…

最近テレビがつまらなくなってきたと感じるのはなぜだろう、という件

テレビが面白くなくなってきたと感じている。あくまで個人的な感覚であり、本当にテレビ番組自体が劣化しているのか僕の趣味嗜好が変わったためのものなのかそれは分からない。 まあ、そんなことを言っていては話が進まないので、ここはテレビがつまらなくな…

「先のことは分からない」という事実を僕たちは看過しているのではないかという件〈再掲〉

将来に不安を抱えている人たちは多い。 当たり前の話である。誰も先のことなんて分からない。 しかし、先のことが分からないからこそ希望が持てるのである。 初出 2017/3/2 未来に起こることなんて誰にも分からない。 マクロな視点からの未来予測が困難であ…

昔ながらの喫茶店が好きだという件

僕は昔ながらの喫茶店が好きである。 残念ながら今はチェーン店が興隆の時代であり、個人がひっそりと街中で営む喫茶店が減っている。 昔ながらの喫茶店の良いところはタバコが堂々と吸えることである。チェーン店のように店の片隅に追いやられることもない…

何でもかんでも「教育が悪い」と言っていればいいわけではないという件

教育に関する話題となると多くの人は熱くなり持論を語りたがる。 受験競争、偏差値偏重主義、エリート教育の是非、学力低下等々手を変え品を変え様々なトピックが登場し、そのたびに自称教育評論家があちらこちらから湧き出てくる。 多くの人たちは過剰に教…

社会保障やセーフティネットを手厚くすると人は怠惰になるのか、という件

ごくごく当たり前の話であるが、僕たちは健康で文化的な生活を営む権利を有している。 誰もが知っている憲法25条の生存権保障の規定である。国家は国民の生活を保障する責務がある。 ただ、最高裁はこの憲法の規定をプログラム規定ととらえ、国家の責務とま…

「自己責任」を突き詰めると超人的な人しか生き残れなくなるという件〈再掲〉

自己責任とは便利な言葉である。何らかの問題を抱えた人に対して「自己責任」だと言っておけば済むからである。とても冷たい言葉である。 人はすべての行動に対して自己責任を取れるほど強いものなのだろうか。 初出 2017/2/28 一昔前は世に自己責任論が跋扈…

人に何と言われようとも僕は頑張りたくないという件

僕は幼少の頃から頑張ることが嫌いだった。正確に言えば人に自分の「頑張っている」さまを見せることが嫌だったのだ。 今もそうだけれども、ガンバリズム、根性主義的なものが大嫌いである。 「頑張れ」という言葉は便利で使い勝手が良いものである。 もし何…

誰でも即実践できます!あなたの不調をやわらげます あなたの心に灯をともす、根本的な解決法を伝授します