「公務員を辞めたネタ」は何度もこのブログで書いていて、「いつまで言うとんねん」といった感じではあるけれども、ちょっとだけ好評なので図に乗ってまた書くことにする。
僕が公務員を辞めた理由は幾つかあって、それらが折り重なり合った結果「ええいっ、辞めてまえ」と後先考えずに行動に出たのである。
仕事がクソほどつまらない、上司がバカばかり、役所の独特の雰囲気になじめない、と当時はそのように感じて退職に至ったのだ。
今となって気付いたことであるが、それらの理由は些末なものに過ぎない。
最も根源的な理由は、「先が見えすぎてしまった」ことである。
「先が見える」ことは決して悪いことではない、とは思う。
人生設計や生活設計が容易になる。生活に困窮する可能性はかなりの程度低くなる。
結婚や子育て、持ち家を所有すること、そこそこ豊かな老後生活などができる。
生活の安定と先々の保障が手に入ることは大多数の人々にとって喜ばしきことである。
しかし、そのためには前提条件がある。
それは何十年も雇われて働くことを続けなければならないし、ひとつの組織に埋もれ続けなければならないことである。「自由」を投げ出して安定や保障を手に入れるわけである。
公務員の給料は棒給表によって予め決められている。その棒給表を見れば自分が将来どれほどの給料を得ることができるか予測がつくのである。このことが良いのか悪いのかは考え方・価値観の違いによって変わってくる。安定を重要視すれば先の給料が分かっていることが良きものとなる。
真っ当な社会人として生きていくことを考えれば、先のことが見通せることができれば、かなりのアドバンテージとなる。
僕は公務員となってすぐに「自分の人生は半ば決まってしまった」と感じ、暗澹たる気分になってしまった。僕にとって「安定」と「先々の保障」は決められたレールの上を脇目もふらずに進むだけの味気ないものとしか感じられなかったのだ。
そんなことは分かり切ったこと、そんなことを言うのならば公務員なんかになるな、と言われそうだが、本当にそのとおりである。僕は大学を卒業するにあたって深く自分の職業生活のことを考えなかったのである。ただ「なりゆき」で公務員になっただけなのだ。働き始めてようやっと自分の愚かさに気付いたのである。これは自己責任である。
言い訳に聞こえてしまうが、僕は僕なりに良き公務員、行政マンになろうと努力をしたつもりである。けれどもやはり無理なものは無理だった。その当時は気付いていなかったけれども、僕は雇われて働くことができない、そのことがとても苦痛に感じるタイプの人間だったのだ。安定や先々の保障といったことは僕にとっては何の慰みにもならなかったのである。
何度もこのブログで言及しているが、僕は「安定」なんて幻想だと思っている。「先々の生活保障」についても砂上の楼閣だと思っている。この考え方が正しいのか否か僕には分からない。おそらく間違っているのだろう。
しかしながら、僕に取り憑いたこれらの考え方・価値観を変えようとも思わない。
人生に安定なんかない、先のことは分からないということを常に念頭に置いて自分の生き方を模索し続ける、という行動様式はこれからも変わらない。