希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕は「ヤンキー」的メンタリティとは肌が合わないという件

今のこの社会を覆っている空気が「ヤンキー的」であるという言説がある。「マイルドヤンキー」なんて語も創生された。

「ヤンキー」的というのは何も不良が跋扈しているという意味ではない。

ヤンキーと呼ばれた人たちが好むメンタリティがこの社会の多数派と親和的であるということだ。僕はこの説に概ね同意する。

 

僕が学生の頃、中学生・高校生の時はヤンキー全盛期であった。ヤンキーが主人公の漫画があり、横浜銀蝿のようなヤンキーチックなバンドが流行ったりしていた。

当時は不良・ヤンキーが即座に見分けがついていた。服装や行動様式が普通の学生とはかなり違っていたからだ。

今は外見上明らかな不良やヤンキーはほとんどいない。絶滅危惧種と言っていい。

 

見かけ上差異化できるヤンキーは殆どいなくなったけれども、ヤンキー的なメンタリティは滅んでいない。いや、むしろ水面下で増殖している感がある。

「知性」を蔑ろにする風潮、根性や気合を重視する精神主義的なもの、「ポエム」的なものの蔓延等である。

 

僕はヤンキー的なメンタリティには強い違和感を覚える。

はっきり言って嫌いである。学生時代からそうであった。

個人的にはヤンキーの友人もいたが、僕は総体としてのヤンキー気質的なものがダメだったのである。

僕は「優等生」だったわけではない(傍からはそう見えたかもしれないが)。学校や教師に対する強い不信感を抱いていた。表立って反抗はしないが、内面的には反抗心満載だった。しかしながら、ヤンキー的な反抗の仕方には同調できなかった。

 

過剰な仲間意識、地元志向、絶対的な先輩後輩の関係性、精神主義などなどといったヤンキー的価値観にはどうしても馴染めない。例えば「よさこい」に興じる人たちを見ると悪寒が走ってしまう。

これらのヤンキー的なものは企業社会と親和性がある。

多くの会社はヤンキー的文化と体育会的文化を混合させた体質を持っている。

どちらかというと僕はオタク的で個人主義的で自由主義的なメンタリティを持っているので、会社社会には属しがたいし、この社会ではマイノリティとなる。

 

僕はヤンキー的なものを全否定したいわけではない。

ヤンキー的な価値観が覆った社会で生きやすい人が多数派を占めているのならばそれはそれで仕方がない。僕はそんな社会の片隅で細々と生きていくだけの話である。

 

ヤンキー的なメンタリティとは肌が合わない、とこれは僕のアイデンティティの中核を占めている。

ヤンキー色の強い本を読まない音楽を聴かない、そんな人間関係を持たない、根性や気合で物事を片付けない、といった感じでこれからも日々の生活を送っていく。

まあ、実害がなければそれでいいか、というような醒めた感じで。