僕は今のこの世の中の様々な物事に怒りを感じたり違和感を覚えることが多い。だからこのブログを書き続けている。
僕が常に心がけているのは安易に多数派に与しないことである。常識や良識を妄信しないことである。この姿勢をとり続けていくと、必然的に「反体制」的、「反権力」的な主張をしがちになる。
だからと言って僕は左翼ではないし、革新派的なイデオロギーを信じているわけではない。そもそも僕は特定のイデオロギーを信じていない。
僕は現行の政治体制、資本主義体制を疑うこともなく受け入れることが嫌なのである。民主政や資本主義というものの本質をとらえ、それらが持つ暴力性や危険性を常に感じていたいのである。
僕が貧困問題に並々ならぬ興味を持ち、行き過ぎた格差の是正を唱えるのは、それらが資本主義の有する本質的問題であり、必然であるからだ。
ポピュリズムや衆愚制は民主政の持つ本性であり、それがさらに行き過ぎるとファシズムにつながっていく。
僕が現体制の維持・擁護に必死となっている御用学者や識者、コメンテーターたちに強い不信感を抱いているのは、僕が持っている性質、「天邪鬼」「マイノリティ好き」等によるものであって、繰り返すがイデオロギーによるものではない。
このような僕を表する言葉で最も適当なものは「不届き者」である。
僕はずっと「不届き者」であり続けたいのである。そのメンタリティを大切にしたいと強く思っているのである。
この不届き者という言葉はもはや死語に近い。時代劇に時々出てくる程度のものである。「お上のご政道に楯突く不逞奴だ~、この不届き者め!」の不届き者である。
僕は現体制を無条件に擁護し受け入れるメンタリティが理解できない。現政権がなす諸政策を批判すると、まつろわぬ者として排除する空気が気に食わない。少しでも政権批判をすると、すぐにサヨクだとレッテル貼りをして言論弾圧に精を出すネット民の狭量さ、見識のなさに辟易する。
自分の頭で物事を考えず、批判精神をなくしてしまったら、人は奴隷以下の存在となり、人が人でなくなる、と僕はそう確信している。
僕は不届き者がもっともっと増殖して欲しいと願っている。
世の中を少しでもより良い方向に変えるためには、現状維持をよしとしていてはダメなのである。少々はねっかえりでも、ラジカルでもいい。国家のすることが絶対に正しいなんて露ほどにも思っていない反骨心を持って対峙する。
不届き者たちが世の中を変えていくのである。このことは歴史が証明している。社会を変革してきたのは、その当時に不届き者とみなされていた人たちの力なのである。
僕は社会を変革しようなどという大それた考えは持っていない。
けれども、より良い社会にちょっとずつ変えていくために、僕の微々たる力を使いたいとは常に思っている。無名の一市井の人として。
そのためにも、僕はずっと「不届き者」であり続けたい。