私は自分の幼少時を振り返ってみると、ほとんど親に褒められた記憶がありません。
私はそれが当たり前のことだと思っていました。
そのことによって拗ねたりはしませんでした。
「承認欲求」というものもそれほどありません。
子どもの頃から人に何と言われようと「私は私」と思っていました(このことは大人になってから気付きましたが)。
私たちは子供の頃から「周囲の大人」によって色んな刷り込みがなされ続けます。
社会の中で周りの人たちに溶け合いながら普通に生きていくように訓練される、と言った方が正確かもしれません。
そのおかげで大多数の人はつつがなく世の中を渡っていけるようにはなります。
しかしながら、齢を重ねてきてどうにも解せないことが幾つも出てきて、そのうちのひとつが・・・
「みんなができていることを、その人の意志とか能力に関係なく無理にでもできるように強制する」ことです。
昨今は多少は事情が変わってきているようですが、私が子供の頃はこの縛りがきつくてたまらない思いをしていました。
新型コロナ騒動でも言及されていた「同調圧力」の一種ですね。
勉強やスポーツができなければ、他の分野で自分を活かすようにすればいいのです。
会社勤めがしんどくて続かないのなら違う働き方や稼ぎ方をしてみればいいだけの話です。
要は自分ができることあるいはできそうなことを最優先の選択肢に据えるということです。
とても普通の当たり前のことです。
誰にでもわかることです。
しかし、先に書いたように幼少時からの刷り込み(洗脳)によって、多くの人ができていることができないと、自分は無能で役立たずなのではというネガティブな感情が生じてしまいます。
これは自己否定につながり、自己肯定感を損なってしまいます。
自分ができることを仕事にするとワクワク感が伴い、自己肯定感も保たれます。
幸せになるための必要条件であるともいえます。
私たちは幸せになるためにこの世に生まれてきたのです。
自分の思いこみや常識にとらわれたり、自分のなすことの社会的地位や収入額等にこだわったりして、意に反した仕事を続けて死の間際に自分の人生を悔やむ・・といったことになりやしませんか?
最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。