僕は「お笑い」が好きだ。
力を持っている者、威張っている者たちを茶化し、批判し、笑いに昇華させる、そんな芸人たちをリスペクトしている。
昨今は政権寄りのコメントを発する芸人もいるが、それは芸能に人生をかけてきた先人たちに顔向けできない所業である。
かつては芸能に携わる民は卑賤視されていた。と同時に神聖視もされていた。常人を超えた芸に民衆は拍手喝采を送り、芸人達も常民とはみなされぬ我が身の宿命を受け入れつつ、芸道に没入していたのである。
芸人に限らず、各分野で権力を有する者に対しての風刺や批判は必要不可欠なものだと僕は思う。
しかし、近年、いわゆる権力者に対して批判めいたことを言えば、その人がバッシングを受けるケースが多発している。政治、芸能、スポーツ等分野を問わずに。
これはとても危険な兆候である。
「長い物には巻かれろ」「寄らば大樹の陰」という俚諺が示すように、古来から強大な力を持つ者には抵抗するな、するだけ無駄だというメンタリティが存在する。
確かにそれは市井に生きる庶民の処世術なのかもしれない。
しかし、その生き方が本当に人間らしいものなのかは疑問である。
いつから、こんなものを言えば唇寒しの状況になったのだろうか。
戦後は言論や表現の自由が保障されているはずである。
僕の全くの個人的な見解、皮膚感覚なのだけれども、それは2000年代の終わりころからだと思う。
10年ほど前にある名物深夜ラジオ番組が突然の打ち切りになるという事件があった。
通常は番組終了となると事前に告知がある。ところが当該番組では打ち切りの直前まで普通に放送され、番組終了の告知もなかった。打ち切りの日に突然終了が告げられ、音楽が流れっぱなしになるという異例の事態になったのだ。
この番組は様々な分野の「権力者」を茶化し、批判し、笑う、というスタンスであった。時には業界のタブーに切り込むことがあった。
この打ち切り事件は、様々な憶測を呼ぶことになった。打ち切りの原因は巨大宗教団体を批判したからだとか、ある芸能事務所を茶化したからだとか。その真相は未だに藪の中である。
大きな力を持ち、その力を恣意的に振るっている者たちを批判するのは当然の行為である。また、「下からの」批判を封じることがあってはならない。批判をしたものに対していわれのない中傷やバッシングをするなんて言語道断である。
権力者に逆らうな、という愚かなメンタリティは、いつかそれが我が首を絞めることになる。
権力者に対して、茶化したり風刺をしたり批判することができないような社会はまぎれもなくディストピアである。