希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/運気アップ/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケーシー/生きづらさ

「~をやらされてる」と感じると何をやってもうまくいかない

私は以前に人事労務の専門家を称していたこともあって、様々な労働問題について自分なりにあれこれと考えていました。

その中でも「過労死」の問題については結構深堀していたと思います。

ここではその内容については触れません。

ただ、「長時間労働にさらされているサラリーマンは日本ではたくさんいるのに、一部の人が不幸にも過労死するのはなぜ?」ということと「経営者、特に創業者はそれこそ死ぬほど働いているのに長命の人が多いのはなぜ?」という素朴な疑問をずっと私は持ち続けていました。

 

この疑問に関する答えは幾つもあって、それらが絡まりあって発生しているのですが、私はこれしかない、という私なりの答えを見つけました。

それは・・・

「やらされていると感じてやっているか、自らすすんで自らの意志でやっているか」というただそれだけというもの。

至ってシンプルで、拍子抜けするほど簡単なものです。

 

でも、この「やらされている感」の話は意外と奥が深いですよ。
ビジネス以外の他の分野でも当てはまります。

 

たとえば、スポーツの世界。

昨今良い結果を出しているチームや個人はすべてと言っていいほど「楽しんで」「自分の頭で考えて」「自らの意志を強く持ってその通りに実行」しています。

逆に昔ながらの昭和的な、体育会的な「シゴキ」「根性論」がまかり通って選手に無理やり上からの命令でやらせているようなチームは見事なまでに凋落しています。

私は昔の体育会的なノリが大嫌いでそのような組織に馴染めなかったので、この傾向はとてもいいと思っています。

 

よく、よかれと思って他人の行動などを変えようとしてアドバイスしたり、ひどいときにはこうしろと強制したりする人がいます。

そして見事なまでに相手方はそれらのアドバイスを実行しないし、以前と変わらないままです。

そのアドバイスがたとえ正しいものでも結果は変わりません。

身に覚えがありませんか?

当たり前と言えば当たり前の話です。

自分が他人から強制されたことなんか(たとえそれが善意によるものでも、正しい物でも)したくないですよね。

義理があったり、相手が上の立場だったりしたら「やっているふり」はします。

これでは結果は伴わないのは当然です。

 

娑婆で生きていたら・・特に「常識」とか「普通」とかに囚われて「みんなと同じように」生きていたら、多くのことをやらされてしまいます。

ここに沢山の「生きづらい」人が存在する理由があるように思います。

うまくいっている人たちはおそらく「ワクワクして」心の底から楽しんで仕事や研究なんかをやっているのです。

だから創業時のエピソードで良く語られる「寝る間を惜しんで、夜を徹して仕事に打ち込んだ」創業者は過労死なんかとは無縁だったのです。

いや、元から丈夫だったとの反論もしたいところでしょうが、多くの成功者は身体が弱かったという事実があります。

松下幸之助さんはとても体が弱かったということは有名です。

 

結局は仕事にしても学業にしても、本人が「やらされている感」を抱いている限りはうまくいかないし、無理して続けて一時的に成功したように見えてもいずれは破綻します。

成功するための第一歩は、今やっていること、やろうとしていることを「ワクワクして」楽しくできるか、ということに尽きるのではないでしょうか。

 

私たちはいかにして「ワクワク」することを見出すか、を一生をかけて続けていくのかもしれません。

 

そして、私は人は誰でも「ワクワクして、本当に楽しいと感じる」ことを見つけることができると強く思っています。

 

 

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あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます。

「取り越し苦労」なんてするだけ無駄なこと

私は今(多少はメニエール症候群の症状が残っていますが)、心身ともにスッキリとした気分で毎日を機嫌よく暮らしています。

その要因はいろいろとありますが、一番は「明日は今日よりいい日だ」と思えるようになったからです。

なぜそのように脳天気で楽天的になったかと言いますと「取り越し苦労」をしなくなったからです。

正確に言うと「取り越し苦労」をいちいちすることがバカらしくなったからです。

そんなにまだ起こっていない先のことを考えても仕方がない、アホらしいとようやく気付けたのです。

それと人生で起こる大半のことはすべて「なんとかなる」と思えるようになったことが大きいですね。

 

以前に「心配事の大半は実際には起こらない」ということを検証したという記事を読んだことがあります。どこの大学かは忘れましたが、アメリカの有名大学だったと思います。

その記事を読んだ時は「こんなアホみたいなことを研究しているのか・・」と呆れながら感心したことを覚えています。

 

そういえば、聖書にも「明日のことを思い悩むな」というフレーズがあります。

古今東西を問わず、人は取り越し苦労をしてばかりだったんですね。

 

よく様々なメディアでやっている「未来予測」の類ですが、あれってほとんど外れています。
占いとたいして変わりません。

未来予測も占いも当たったかどうかの事後検証をほとんどしないので、ほぼ「言いっぱなし」状態です。
こんなものに自分の人生を、自分の幸福を左右されるなんて、それこそバカらしい。

そう思いませんか。

それと、なぜかこの手の未来予測はネガティブなものばかりです。

不安や恐怖を煽った方が、いろいろと都合がよい方々がいるのです、きっと。

 

・・とこんなエラそうなことを言っていますが、私には苦い経験があり苦い思い出となっています。

私は十数年前まで、コンサルタントもどきのことをナリワイとしていまして、そのとき顧客にいろいろと不安を煽って飯のタネにしていました。

人事労務関係が私の専門分野だったのですが、やれこういう人は雇うなとか、やれ解雇するならこうしろ、とか先に起こるかどうか分からない(多分、ほとんど起こりません)ケースをあれこれ持ち出して、自分の知識やノウハウをひけらかして、報酬をいただいていたわけです。

今思うと、とても恥ずかしいです。

穴があったら入りたい。

 

今の再生・更正を果たした私(自分で言うなっ!)が言えることは・・・

「取り越し苦労を辞めると、かなり毎日が楽しくなる」ということです。

滅多なことでは悩まなくなります。

こころとからだの調子がとても良くなります。

 

 

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人生で起こることの殆どは「なんとかなる」

「なんとかなる」

私が最も好きな言葉です。

私の行動規範やマインドセットのベースになっています。

私の座右の銘のひとつにしています。

 

元々若い頃から好きな言葉だったのですが、特に最近は好きの度合いが高くなりました。

その理由は、ちょっと前にAmazonで本を検索していたところ、宮本真由美さん(斎藤一人さんのお弟子さん)の『「なんとかなる」の奇跡』がおすすめか何かで表示されて、何となく購入して、その内容が面白くて、私も「なんとかなる」を再評価してみようとの思いを持ったからです。

私は元々は自己啓発関係や精神世界の書物は苦手で全く手に取ることがなかったのです。今もゴリゴリの自己啓発本やスピリチュアル本は苦手で読みません。

ただ、最近は心境の変化もあって、スピリチュアルの要素があるものでも、内容が面白そうなものは読んでみよう、と思うようになりました。

斎藤一人さんはその中の一人です。宮本さんの著書ははじめての購入でした。

 

それともう一つのどうってことないエピソードも。

ある日サブスクで音楽を聴いていたら、おすすめに何となく見覚えがあるアーチストと曲が表示されました。

それで何気なくクリックしてみたところ・・・

それが私がずっと探していた曲でした。

歌詞の一部とメローディだけをかすかに覚えていて、誰の何という曲かがどうしても思い出せなかったのです。それが突然にパッと出てきたわけです。

ちなみにその一部の歌詞とは・・「何とかなるわ、そのうち。呪文をかける、自分自身に」というもの。

アーティストは和田加奈子、楽曲名は『シナモンとブラウンシュガー』です。80年代に活動していて今はほとんど忘れられた存在で(歌手活動は引退しています)、そんなにブレイクはしていなかったはずです。

ただ、この曲のフレーズがずっと私の記憶に残っていたわけです。

 

話題が少しズレてきましたので、元に戻します。

私は日常生活で不快なことや嫌なことに出くわしたら、「なんとかなる」とつぶやいたり、心の中で唱えています。

効果のほどは・・定かではありません。

でも、ちょっとばかり楽になっているような気がします。

 

よくよく考えてみたら、「なんとかなる」は、特別な呪文ではなくありふれた言葉です。

でも、この世の中の真理をついている言葉です。

なぜなら、ほとんどの人は「なんとかなっている」からです。

今ここに存在していることこそがその証です。

色々な問題を抱えていたとしても、今ここに無事に生きているのです

 

私たちは学校教育、会社、マスコミ等によって「世の中、どうにもならないこと」ばかりだと心に刷り込まれています。

もの凄く膨大な量の情報や常識などを浴び続けています。

強い力でもって洗脳され続けています。

そのため自己肯定感が著しく損なわれ、自分の人生は「どうにもならない」ものだと思い込まされています。

 

この呪縛から逃れることで、私たちは幸せに近づけるのだと強く思っています。

 

私の言うことは信じなくてもいいですから、おまじない感覚で「なんとかなる」と言ってみたり、心の中で唱えてみてはいかがでしょうか?

 

 

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幸運を呼び込む考え方やものごとの捉え方について

昔からずっと「考え方」を変えれば、現実が変わると言われてきました。

良くも悪くもなると。

 

私は運を良くして現実を変えるための第一歩としては、やはり「今起きていること」や「今ある状態」に対する考え方をポジティブにすることだと思っています。

ポジティブに考えるとは言っても、現実から目を背けて、今自分に起きている問題から逃げては話になりません。

まあ、当然のことです。

あくまで、現実に向き合ったうえでの話です。

 

私が尊敬し敬愛してやまない故甲田光雄先生はご自身の著書の中で次のようなことを繰り返し述べられています。

腰痛と頭痛の2つの症状を抱えた患者さんが2人います。

2人とも腰痛は収まりましたが頭痛は続いています。

Aさんは「頭痛が治りません。辛くて仕方がないです。」と言い、一方のBさんは「先生、腰痛が治りました。本当にありがとうございます」と言いました。

さて、どちらの方が体調を恢復させたでしょうか?

答えは一目瞭然、分かりきってますよね。

もちろん、正解はBさんです。

これは「お医者さんあるある」らしくて、似たような話を別のお医者さんに聞いたことがあります。

 

他の似たような身近な例として、私は競馬が趣味なのですが、競馬のケースを。

運やツキに恵まれない人は、馬券を的中させても「ああ、もっとたくさん賭けておけば良かった。損をした!」と言いがちです。
一方幸運でツキにめぐまれる人は、的中すれば払い戻し額の多寡にかかわらず素直に喜び、外しても「十分楽しめたので、ラッキー」と言います。

これと似たような例は、私たちの身の回りにゴロゴロと転がっています。

 

要は、自分に起こった出来事に対しての捉え方ひとつ「心の置き所」ひとつで現実はどのようにでも変わるということです。

 

先に述べました患者さんの例で言うと、「今あるもの・今ある状態(腰痛は治った)」への感謝を忘れないことが幸運につながるんです。

一方で「ないものねだり」をしていてはいつまでたってもそのまんまということです。

「○○さえあればいいのに」とか「○○でなければだめだ」というような考え方ですね。

 

「こんなこと、言われなくても分かっているよ」という人は多いです。

しかしながら、これまで書いてきたような、幸運を呼び込む可能性が高い考え方をするよう常に心掛けている人は少ないと思います。

 

 

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心に思い描いたことは、本当に実現する?

「願望はすべて実現する」

このフレーズは昔からさんざんに言い古されてきました。

今でも特に自己啓発的な著書やセミナーなどでは定番のテーマとなっています。

時代の流れとともに姿形を変えてずっと生き残っています。

 

私は元々、自己啓発的なものがどうも苦手で拒否反応を示していました。今でも苦手意識は残っています。

ただ、大病を経験して、今それを克服しつつあるのですが、その私の回復再生の要因となったのはかなりの部分が「心の置き所」にあるのだと考えるようになりました。

物事に対する考え方や捉え方によって、現実は結構変わるものだと実感しているのです。

 

ですから、願ったことは実現するといった類の言説をすべて否定するのはいかがなものか、という態度に変わってきました。

実際、私自身が考え方等を少し変えたことによって心身の具合が良くなり、現実が明らかに好転しているわけですから。

 

私の過去の出来事を色々と振り返ってみると・・・

・ある劇団の芝居を観に行って、その内容に感動し主人公のいきざまに共感し、「この芝居に出て、主人公を演じてみたい」と思い、さらに私は出演することになるかも、という予感を抱いたところ、本当に主催者から声がかかり次回公演で主人公を演じることになりました。

私は主催者と直接に面識もなく、芝居もほぼ未経験であるにもかかわらずです。

・高校時代にとても好きな子ができて、「この子と付き合いたい」と思っていたところ、その子から告白されお付き合いすることになりました。

その子はいわゆる「マドンナ」的な存在で、私には高嶺の花でした。

・大学受験の時、すべり止めとして志願予定の大学に下見に行き、そのキャンパスの雰囲気がすっかり気に入りました。「この大学に来るかも、いや来てもいい」と思ったところ、第一志望の国立大学に落ちてその大学に入学し私の誇れる母校となりました。

・その他にも難関の公務員試験に受かったり、社労士試験に受かりましたが、それらも短期間の準備期間で勉強量は十分といえないのに結果が出ました。

これらのケースはたまたま偶然かもしれません。

ただ、私たちは小さな「願いが叶った」ケースを忘れてしまい、大きな「願いが叶わなかった」ケースをずっと覚えているだけなのかもしれません。

私のケースに限って言えば、「願いを抱く」+「願いが実現する予感がする」or「実現した自分の姿が具体的に思い描ける」ときに高い確率で願いが叶っているようです。

 

「願望実現」が本当にあるのかどうかは、おそらく未来永劫科学的に証明されないでしょう。

どこぞの都市伝説テラーではありませんが、「信じるか信じないかはあなた次第」でいいのではないでしょうか。

 

願いは叶うと信じる人がいたとして、その人がより明るく楽しく幸せな人生をおくることができるならば、その人を応援してあげればいい、と私は思っています。

これが成熟した大人の態度です、きっと。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

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