希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

働く人たちはもっとゴーマンになってもよい件〈再掲〉

この国の労働者は大人しすぎると思う。

給料は上がらず、長時間労働を強いられ、サービス残業も黙って受け入れ、リストラされても徹底的に闘わない。

労働者あっての会社だということをもっと主張してもよいはずだ。

 

初出 2014/10/16

 

大多数の働く人たちは何らかの形で会社や官公庁に雇われの身である。正社員もいるし契約社員、パート、派遣社員もいる。

雇用形態に関係なく働いている人たちの多くは会社に「雇ってもらっている」と考えている。極端に言えば、「働かせていただいている」と思っている。

ここまで自分を卑下することはないと、僕は思っている。

 

会社は採用活動によって働く人を選ぶことができる。一見会社側にイニシアティヴがあるように見える。しかし、働く側も会社や仕事を選ぶことができるのだ。待遇の悪い会社やバカな経営者や上司がのさばっているような会社には即見切りをつけることができる。

仕事を選ばずに働け、などという妄言に付き合う必要はない。

 

会社は社員が働くことによって存続し利益を出すことができる。このことを忘れてはならない。

働く人たちは、

「俺たちが働いているから、会社が儲かる」

「俺たちが働いているから、社長や役員が高い報酬を得ることができる」

「俺たちが働いているから、株主に配当ができる」

というように思ってもよいのである。

会社や経営者が「働かせてやるだけでもありがたいと思え」というような態度を取るようならば、そんな会社に留まることはない。

失業すれば生活に困窮するかもしれない。しかし、あえてそれを受け入れて、矜持を持ち続けることも大切なことではないかと思う。

今は働く者のプライドが踏みにじられている。会社の締め付けが強くなったことや労働運動が衰退していることなどによるものだ。

会社からの締め付けに対抗する手段は労働者の団結・連帯、権利の行使しかない。ただ、イデオロギーありきの労働運動は既に限界を見せている。

戦前の労働運動は何度弾圧されても「生存のための闘争」を繰り返した。そのような労働者の生活を守る闘いという労働運動の原点に回帰することも必要なのではないだろうか。

 

労働組合による活動・闘いが難しいのならば、働く者ひとりひとりが誇りを持ち、覚悟を持つことが大切なことだ。労働法の知識を得て、闘い抵抗する「知恵」を身につける。

これからは「無知」であれば、それに付け込まれてしまい路頭に迷うこともあると胆に銘じておかなければならない。

 

働く者の立場が弱い、と嘆いているだけでは何も変わらない。

強欲な経営者に一撃を与える手段をあれこれと捻り出し、時が来れば実行する。そんなしたたかさを働く者は持つべきだ。

 

僕たちは「働かせていただいている」のではなく「働いてやっている」とゴーマンになってもよい。