希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

教育問題について考えてみる

学歴の高さと仕事の能力とは相関関係があるのか、という件

僕は労働問題や貧困・格差の問題に興味があり、同時に教育についても関心を持っている。 教育問題についてあれこれ考えていると、どうしても「学歴」の話に行き当たる。 学歴の効用は何か、それが本当に顕在化するほどのものなのか、社会の中で生きていくう…

「やればできる」とは相手を追いつめる言葉であるという件

僕は今、仕事のひとつとして進学塾の講師をしている。 担当している受講生はそれほど多くはないが、それぞれにタイプが異なっている。 何も言わなくても自発的に学習に取り組む子もいれば、いまひとつ意欲がない子もいる。 塾のできることは限られている、と…

僕の黒歴史、それは中学時代であるという件

僕は学校というものに不信感を抱いている。 小学生の時に不登校になり、その不信感は拭い難いものとなった。 そして、暗黒の中学校時代を過ごすことによってそれは増幅されることとなった。 僕の中学校時代というともう30年以上も前のこととなり、記憶のディ…

「消費者マインド」だけに偏っている人が多数派になると社会が歪になるという件

僕たちは大抵は「働く人」という顔と消費者という顔を持って生活をしている。 資本主義システムの下では、特に消費者マインドが肥大する傾向がある。 人の欲望を煽る広告が世にあふれ、経済成長をするためには人はまず「消費者」であれという圧力に常にさら…

「学歴なんて要らない」という言説は無責任であるという件

この国の人たちは学歴に関する話題が結構好きである。 学歴不要論にしても、学歴がやはり必要であるという話にしても、結局は学歴に捉われている証なのである。 この国の学歴とは知的レベルを担保しているわけでも専門的知識とか学識を担保しているわけでは…

この国には本当のエリートはいないという件

「エリート」と聞いて多くの人たちはどのようなイメージを抱いてるか。 おそらく、自分の学歴をはじめとする経歴を鼻にかけた鼻持ちならない奴といったネガティブな印象を抱いているのではないだろうか。 では、この社会にエリートは不要かと言えば、僕はそ…

塾や専門学校の講師は生徒の「人格」に関わらないところが良い、という件

僕は今学習塾の講師をしている(非常勤で)。 かつては10年近く高卒者や社会人対象の専門学校の講師をしていたことがある。 学習塾や専門学校の講師は同じ「教える仕事」の公教育の教員とは異なる点が多々ある。 それは学生の「人格形成」や「人間的成長」には…

僕が11歳のとき、不登校児童だったときの話をしてみるという件

以前にも何度かこのブログでふれたことがあるが、僕は小学校5年生のときに不登校になったことがある。 今回のエントリーでは、その時のことを思い出し、これまでよりもちょっとだけ詳しく書いていこうと思う。 僕は小学生の頃は食べ物の好き嫌いが多い子ども…

一見役に立たない知識こそが実は大切であるという件〈再掲〉

昨今は高等教育において「実学」を重視する方向になっている。人文系学部を廃止せよという暴論もまかり通っている。 すぐに役に立つ知識の賞味期限は短い。 カネにならないように見える学問を軽視すると、手痛いしっぺ返しを喰らうことになる。 初出 2017/11…

何でもかんでも「教育が悪い」と言っていればいいわけではないという件〈再掲〉

ある社会問題が多発するとすぐにその理由を教育に求める風潮がある。 青少年犯罪、ニートやひきこもり、競争力の低下、学力の低下等々は教育に問題があるとされてしまう。それは思考停止以外の何物でもない。 初出 2017/8/29 教育に関する話題となると多くの…

すぐに役立つ知識は実はすぐに役に立たなくなるという件〈再掲〉

高等教育において「職業教育」「実学」を重視せよとの言説は正しいようでそうではない。仕事に必要な知識やスキルは実際に働いているうちに身に付ければよいのではないかと思う。即戦力的人材は賞味期間が限られている。 初出 2017/6/8 僕は社労士事務所を営…

僕は中学時代の記憶が殆ど欠落しているという件

僕は進学塾で中学生を教えているのだけれども、学生から僕の中学生時代のことを聞かれるとはたと困ってしまう。 大ざっぱな記憶、例えば校内暴力が吹き荒れていたこと、校則が厳しかったことなんかは覚えているが、具体的にどのような感じで中学時代を過ごし…

一見役に立たない知識こそが実は大切であるという件

僕たちは何のために学ぶのか。 この根源的な問いに対しては明確な答えはない。 功利主義的に答えれば、知識を得ることあるいは学歴を得ることによって経済的な豊かさを獲得するため、ということになる。仕事に役立つ知識を得ることによって他者に比べて優位…

勉強が嫌いなのは当然のことであるという件

世の多くの親御さんはわが子が勉強しなくて困り果てている。 別に教育ママ・パパではなくても自分の子にはきちんと勉強をしてもらっていい学校に入ってほしいと願うものである。昔の立身出世なんか望んでいなくて、そこそこで真っ当な生き方をして欲しいと願…

僕が学歴エリートでなくなったことのメリット、という件

僕は大卒だけど学歴エリートではない。 東大や京大といった伝統があり超難関大学の出身ではない。 僕はこれでも高校時代は京大や阪大を目指し、学歴エリートの末席に連なろうとしていた。生き方の選択肢が少なく、偏った価値観を有していたため、学歴エリー…

何でもかんでも「教育が悪い」と言っていればいいわけではないという件

教育に関する話題となると多くの人は熱くなり持論を語りたがる。 受験競争、偏差値偏重主義、エリート教育の是非、学力低下等々手を変え品を変え様々なトピックが登場し、そのたびに自称教育評論家があちらこちらから湧き出てくる。 多くの人たちは過剰に教…

会社に従順なサラリーマンを生み出すために大学は存在しているのか、という件

大学が「就職予備校」化していると論じられて久しい。 昨今の就活の狂騒ぶりを見ているとそうなのだと納得する。大学生活の思い出は就活だ、という著書もあったが、そのことに悲哀を感じてしまう僕は世間とズレているのだろうか。 確かに就職は人生において…

学校給食のトラウマ、あるいはそれに関する諸々のことという件

僕は今も時々小学校時代の嫌な夢を見る。 給食が食べられなくて無理やり食べさせられたり、居残りをさせられたりするという、そんな悪夢だ。 僕は偏食であり、小学生の時は今よりももっと酷かった。 肉類を食べることができなくて(今もあまり好きではない)…

すぐに役立つ知識は実はすぐに役に立たなくなるという件

僕は社労士事務所を営んでいるときに専門的な知識を得ようとして勉強を続けていた。労働法、判例、行政通達、公的保険の実務、人事労務管理の知識等を日々勉強していた。実務に直結するような知識、つまりカネになる知識を優先して学んだのだが、今となって…

もう少しだけ「学歴」の話をしようと思う件(高校編)

僕は学歴至上主義者ではないが、やはり学歴に関してはこだわりがある。 仕事を得る際には「選別」を受けざるを得ないけれども、その基準として学歴を用いるのは悪いことではない。家柄や生まれ、あるいは階級などを基準とする社会よりはよっぽどましであると…

「学歴社会」は消えてなくならず、まだまだ続くという件

学歴偏重や学歴社会というものに対してネガティブな感覚を抱く人は多い。 僕も学歴だけで人を判断することには拒否反応を示す。 ただ、ある人を評価したり選別する物差しとして学歴というものは必要だと思っている。その人の家柄や氏育ちで判断するよりは合…

僕は体育会的なノリや価値観が嫌いだという件

僕はスポーツ観戦が好きである。野球、アメフト、ラグビー、駅伝などが特にお気に入りである。 僕はあまり運動神経に恵まれていない。よって運動部・体育会に入らずに学生時代は文科系のクラブやサークルに所属していた。高校時代はフォークソング部(今は軽…

学校に通うことは当たり前、という考え方こそがおかしいという件

僕は小学校5年生のときに不登校を経験している。その学年でまともに通った期間は半分位だった。 当時は「不登校」という言葉はなく、「登校拒否」といわれていた。今ほどに社会問題とはなっていなくて、学年では僕一人だったと記憶している。のんびりしたと…

大学はサラリーマン養成所でしかないのかという件

大学が「就職予備校」化していると論じられて久しい。 昨今の就活の狂騒ぶりを見ているとそうなのだと納得する。大学生活の思い出は就活だ、という著書もあったが、そのことに悲哀を感じてしまう僕は世間とズレているのだろうか。 確かに就職は人生において…

僕の不登校経験を語ってみる件

以前のエントリーでもふれたが、僕は不登校の経験がある。小学校5年生の時だ。この学年の半分位はまともに登校していない。登校を再開した6年生のときも1学期の間は午前中で早退していた。完全復活を果たしたのは6年生の2学期からである。 なぜ不登校になっ…

この国の「会社社会」は家族や学校に依存して成り立っている件

この国の社会保障制度は高齢者に厚く、現役世代には手薄な設計となっている。この手薄な部分を企業が担ってきた。健康保険の上乗せ給付や住宅手当・社宅の提供などの福利厚生制度である。 日本社会が「会社社会」である所以である。 この会社社会は今、家族…

人の評価基準は色々とあった方がよい件〈再掲〉

人をひとつの決まったモノサシで測ることは愚かであり、また怖いことである。 ある価値観のみで人を「選別」する行為は許されることではない。 初出 2014/12/9 僕たちは生まれてから死に至るまで絶え間なく「評価」されて生きていく。 特にこの社会では他者…

この国に本当のエリートはいない件

この国ではちょっといい大学を出て、官公庁や大企業に入った人たちを「エリート」と呼ぶ。 エリートの大安売り状態である。 大企業や官庁の幹部候補といえども単なる労働者に過ぎないことを忘れている。 有名大学出身者は学歴エリートであり、一般にこれらに…

「学ぶ」ことは本当は楽しいという件

僕は小中学校のときは予習・復習を全くしていなかった。さすがに中学校のときは定期テストの前に勉強はしたが、日常的には勉強をする習慣はなかった。 高校に入ると(ローカル進学校だったため)数学と英語だけ予習をするようになった。予習をしないと授業に…

学校には必ず通わなければならないということに異議を申し立てる件

僕は小学校5年生のときに不登校を経験している。その学年でまともに通った期間は半分位だった。 当時は「不登校」という言葉はなく、「登校拒否」といわれていた。今ほどに社会問題とはなっていなくて、学年では僕一人だったと記憶している。のんびりしたと…