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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

教育問題について考えてみる

もう少しだけ「学歴」の話をしようと思う件(高校編)

僕は学歴至上主義者ではないが、やはり学歴に関してはこだわりがある。 仕事を得る際には「選別」を受けざるを得ないけれども、その基準として学歴を用いるのは悪いことではない。家柄や生まれ、あるいは階級などを基準とする社会よりはよっぽどましであると…

「学歴社会」は消えてなくならず、まだまだ続くという件

学歴偏重や学歴社会というものに対してネガティブな感覚を抱く人は多い。 僕も学歴だけで人を判断することには拒否反応を示す。 ただ、ある人を評価したり選別する物差しとして学歴というものは必要だと思っている。その人の家柄や氏育ちで判断するよりは合…

僕は体育会的なノリや価値観が嫌いだという件

僕はスポーツ観戦が好きである。野球、アメフト、ラグビー、駅伝などが特にお気に入りである。 僕はあまり運動神経に恵まれていない。よって運動部・体育会に入らずに学生時代は文科系のクラブやサークルに所属していた。高校時代はフォークソング部(今は軽…

学校に通うことは当たり前、という考え方こそがおかしいという件

僕は小学校5年生のときに不登校を経験している。その学年でまともに通った期間は半分位だった。 当時は「不登校」という言葉はなく、「登校拒否」といわれていた。今ほどに社会問題とはなっていなくて、学年では僕一人だったと記憶している。のんびりしたと…

大学はサラリーマン養成所でしかないのかという件

大学が「就職予備校」化していると論じられて久しい。 昨今の就活の狂騒ぶりを見ているとそうなのだと納得する。大学生活の思い出は就活だ、という著書もあったが、そのことに悲哀を感じてしまう僕は世間とズレているのだろうか。 確かに就職は人生において…

僕の不登校経験を語ってみる件

以前のエントリーでもふれたが、僕は不登校の経験がある。小学校5年生の時だ。この学年の半分位はまともに登校していない。登校を再開した6年生のときも1学期の間は午前中で早退していた。完全復活を果たしたのは6年生の2学期からである。 なぜ不登校になっ…

この国の「会社社会」は家族や学校に依存して成り立っている件

この国の社会保障制度は高齢者に厚く、現役世代には手薄な設計となっている。この手薄な部分を企業が担ってきた。健康保険の上乗せ給付や住宅手当・社宅の提供などの福利厚生制度である。 日本社会が「会社社会」である所以である。 この会社社会は今、家族…

人の評価基準は色々とあった方がよい件〈再掲〉

人をひとつの決まったモノサシで測ることは愚かであり、また怖いことである。 ある価値観のみで人を「選別」する行為は許されることではない。 初出 2014/12/9 僕たちは生まれてから死に至るまで絶え間なく「評価」されて生きていく。 特にこの社会では他者…

この国に本当のエリートはいない件

この国ではちょっといい大学を出て、官公庁や大企業に入った人たちを「エリート」と呼ぶ。 エリートの大安売り状態である。 大企業や官庁の幹部候補といえども単なる労働者に過ぎないことを忘れている。 有名大学出身者は学歴エリートであり、一般にこれらに…

「学ぶ」ことは本当は楽しいという件

僕は小中学校のときは予習・復習を全くしていなかった。さすがに中学校のときは定期テストの前に勉強はしたが、日常的には勉強をする習慣はなかった。 高校に入ると(ローカル進学校だったため)数学と英語だけ予習をするようになった。予習をしないと授業に…

学校には必ず通わなければならないということに異議を申し立てる件

僕は小学校5年生のときに不登校を経験している。その学年でまともに通った期間は半分位だった。 当時は「不登校」という言葉はなく、「登校拒否」といわれていた。今ほどに社会問題とはなっていなくて、学年では僕一人だったと記憶している。のんびりしたと…

入試に「人間性」を持ち込むのはおかしいという件

現在、大学入試の方法を変えようとの議論が進んでいる。従来の学力を測る入試方法から、人間性を見る方式に変えようということらしい。 これまでの受験知識偏重の選考方法から、多角的に判断する方法へと変え、国際化や価値観の多様化に対応するのが狙いだと…

僕は「愛国者」である件

僕はこの国を愛している。 たとえ生き辛い社会であろうと、世間の同調圧力が強かろうと、その他不条理なことが多かろうとも。 生まれ育った故郷、青春時代を過ごした街には格別の思い入れがある。僕という人間を育んでくれた故郷、そしてこの国を愛おしく思…

学歴社会は「悪」なのかという件〈改題・再掲〉

僕は学歴社会を否定しない。 どの程度の学歴があるかは比較的客観的な尺度になる場合もあるからだ。 「人間本位」の評価なんて眉唾ものだと思う。 学歴は人の持つ能力の一部に過ぎないと割り切れば結構使い勝手がある。 初出 2014/8/23 この国が学歴社会であ…

人の評価基準は色々とあった方がよい件

僕たちは生まれてから死に至るまで絶え間なく「評価」されて生きていく。 特にこの社会では他者からの評価が重視される。他人の目や世間の目を常に意識しておかなければならない。大半の人たちはそのことを半ば当然のこととして受け止めている。僕のように常…

かつて不登校をしていた頃のことを書いてみる件

以前のエントリーでもふれたが、僕は不登校の経験がある。小学校5年生の時だ。この学年の半分位はまともに登校していない。登校を再開した6年生のときも1学期の間は午前中で早退していた。完全復活を果たしたのは6年生の2学期からである。 なぜ不登校になっ…

学ぶことの楽しさを知ることが大切だという件〈改題・再掲〉

人は「学ぶ」ということを忘れさえしなければ、年齢を問わずに自身を向上させることができる。 学ぶことに楽しみを見出すことができる人生は実り豊かなものになる。 初出 2013/12/5 僕は小中学校のときは予習・復習を全くしていなかった。さすがに中学校のと…

学歴社会は悪いことなのかという件

この国が学歴社会であることは間違いない。 様々な学歴社会批判や擁護論が錯綜しているが、前提となっているのは、現に学歴が果たす役割が大きいということだ。 欧米諸国は学歴に関係なく能力主義だという言説が流布されているが大きな誤解であり、この国以…

教育はカネを生み出す人たちを生み出すためにあるのではない件〈改題・再掲〉

この国は教育談義が好きな人たちが多くいる。 昨今の教育論は早期エリート選抜に見られるように財界の思惑に沿ったものばかりになっている。財界の都合の良い人材を作ることに躍起になっている。教育は財界のためにあるのではない。 初出 2014/2/1 今の大学…

日本の会社は家族や学校に甘えている件

わが国の社会保障制度は高齢者に厚く、現役世代には手薄な設計となっている。この手薄な部分を企業が担ってきた。健康保険の上乗せ給付や住宅手当・社宅の提供などの福利厚生制度である。 日本社会が「会社社会」である所以である。 この会社社会は今、家族…

教育は企業の求める人材を供給する場なのかという件

今の大学生は僕たちの頃に比べて真面目だと思う。就活の時期が早まり、企業側の選考基準も厳しくなり、相当の準備をしている学生が多くなっている。一方、大学の講義への出席率も高くなっていると聞く。 一部の意識の高い学生などは学生団体を立ち上げて学外…

学ぶことの楽しさについて考えてみる件

僕は小中学校のときは予習・復習を全くしていなかった。さすがに中学校のときは定期テストの前に勉強はしたが、日常的には勉強をする習慣はなかった。 高校に入ると(ローカル進学校だったため)数学と英語だけ予習をするようになった。予習をしないと授業に…

大学入試に「人間性」をみることは必要なのかという件

現在、大学入試の方法を変えようとの議論が進んでいる。従来の学力を測る入試方法から、人間性を見る方式に変えようということらしい。 これまでの受験知識偏重の選考方法から、多角的に判断する方法へと変え、国際化や価値観の多様化に対応するのが狙いだと…

どんなことがあっても、学校には通わなければならないのかという件

僕は小学校5年生のときに不登校を経験している。その学年でまともに通った期間は半分位だった。 当時は「不登校」という言葉はなく、「登校拒否」といわれていた。今ほどに社会問題とはなっていなくて、学年では僕一人だったと記憶している。のんびりしたと…