希望の舎―再生編ー

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大学はサラリーマン養成所でしかないのかという件

大学が「就職予備校」化していると論じられて久しい。

昨今の就活の狂騒ぶりを見ているとそうなのだと納得する。大学生活の思い出は就活だ、という著書もあったが、そのことに悲哀を感じてしまう僕は世間とズレているのだろうか。

 

確かに就職は人生においての一大イベントである。新卒時の就活の結果がその人の人生を左右する可能性もある。

大学が就職予備校と化しているという指摘は最近に始まったものではない。戦前の大正・昭和期の旧制大学においても、昨今はサラリーマンになることにあくせくしている学生が多いと嘆いている言説が存在していた。

 

大学進学者が同年代の過半数を超えるような大学の大衆化が進むと大卒者の特権性は失われる。巷に学士が溢れると、その希少価値はなくなる。そして、大学を卒業すればサラリーマンになるのが当たり前になってくる。大学の存在意義が「高等教育」を授けるものから、労働者の養成機関へと変化するのも致し方ないことになる。大学の良し悪しは教育内容ではなく、いかに世間で良いとされている会社にいかに多くの学生を送り込むかで決してしまうことになる。人格の陶冶、教養などという言葉はもはや死語となっている。

 

僕は大学での教育を「職業教育」と切り離すべきなどとは思っていない。高度の職業教育も重要である。ただ、それはあくまで独立独歩が可能な専門知識や職業意識を身につけるといった意味での職業教育である。会社や役所の勤め人になってもいいし、起業したりフリーランスになってもいい、どんな状況に置かれても我が身を守れるような知識と技能、いわゆる「稼げるスキル」を手にすることが職業教育だと捉えている。

ひとつの会社に縛り付けられてサラリーマン根性を植え付けられ、社畜や会社人間と揶揄されるような会社に隷属した労働者を大量生産するような機関に大学が堕しては駄目なのだ。

 

大学生活で最も楽しいのはそれまでになかった「自由」を手にすることだと僕は思っている。自分が興味を持ったことに対して深く学ぶことができる。たとえ自分の専門領域以外の事項でも自由に学ぶことができる。逆に面白くないと思ったことについては単位だけを取得して、表現は悪いが思い切って「捨てる」こともできる。先人たちの業績から学べるし、時として自分のオリジナリティを出すこともできる。大学で学ぶことはそれまでの「お勉強」ではなく「学問」へとステップアップするのである。

 

「学問」は面白くて楽しいものである。たとえ、その内容が実生活に直接に役に立たないものであったとしても。役に立ちそうにないことを必死に学び知識を得る、ということも大学生の特権である。

会社での仕事にのみ役立つことを学ぶようなサラリーマン養成的な大学「教育」はなくてもよい。そんなものは会社での研修で身につくものだからだ。大学生活での貴重な数年をそのような陳腐なものを習得することに心血を注ぐことは不毛なことである。

 

現実は今の大学はサラリーマン養成所と化している。

しかし、ひとりでも多くの人たちがこの事実に抗って、大学でしか学べない「役に立ちそうにない」ことを楽しく面白く学び教養的なものを身に付けて欲しいと僕は強く願っている。

実は一見「役に立ちそうにない」知識や思考様式が人生のところどころにおいて役に立つことになるのである。

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