人生において克服が困難な出来事に遭遇することがある。仕事に行き詰ったり、愛する者を失ったりすると生きていくことが辛く感じることがある。
壁にぶち当たったときには、その壁を打ち壊し正面突破の方法で克服することが賞賛される。
現に困難にぶつかった時の指南書が多く出され、その内の多くは困難から逃げずに、全身全霊を傾けて克服することが説かれている。
確かに壁を正面から崩して突破するのは爽快である。そのことを賞賛する気持ちも分かる。
しかしながら、時と場合によっては壁を遠回りしたり、誰かが壊すのを待ってみたり、壁をやり過ごしたりすることも大切なのではないだろうか。
つまり何らかの「逃げ道」を用意することが有効な場合が多いということである。
学校や職場でのいじめを例にとってみよう。
いじめはいじめる側に問題がある。個人の資質として、他者を苛めることによって快感を得るような人間が残念ながら一定数存在する。またいじめを生む土壌が組織にあることもあり、この場合は個人としてはごく普通の人が立場や役職等によっていじめる側に回ることもある。
さらには学校におけるいじめは極めて強い同調圧力によって引き起こされている。少しでも異端な人(個性が強い人)を排除しようとするのだ。
よくいじめられる側にも問題があるという人がいるが、これは強者あるいはマジョリティの傲慢な理論である。
いじめられやすい人の特質として、自己主張をしない人・不器用な人・内向的な人・コミュニケーションが上手くない人等が挙げられるが、これらはその人の立派な個性である。その個性を無視して、組織の論理に従わせて解決しようとする方法では無意味である。
おそらく学校や職場等の組織でのいじめはなくならない。これが現実である。
小手先の解決策ではいじめの問題は無くならない。
いじめられて行き詰った人たちには、逃げ道を用意しておいて、一時逃げてもその後の人生に不利益にならないようにすることが有効な手立てだと僕は考える。時には不登校や出社拒否・転職という選択肢があり、そのことによって必ずしも不利益にならないと知っておくことが大切だ。
属する組織が変わっていきいきと生まれ変わるケースも枚挙に暇がない。極端な話、ひととき組織そのものから全く離れるという手もある。
生きてさえいれば浮かぶ瀬もある。追い詰められて自殺に至ったり、心身を壊すよりもよっぽどましである。
「学校教」や「会社教」のマインドコントロールから自由になると、また違った面白い生き方が見つかることもある。
人生において「逃げ道」を用意しておくことは決して悪いことではない。
「逃げるが勝ち」という先人のありがたい格言もある。
本当に優秀な武将や軍のリーダーとは撤退戦、つまり逃げるのが上手い人のことだった。
人生の「逃げ道」があるとそこに余裕が生まれ、柔軟な生き方ができるようになる。