僕たちは他人に完璧さを求める傾向がある。
他人の失敗に目くじらを立て、非難するような態度を取ることが結構ある。
「完璧主義者」は良いようにも悪いようにも受け止められるが、実際に完璧主義者と仕事をすると大変に息苦しい。また、完璧主義者は自分を追い込むことが多くなり、精神衛生的にもあまり良いものではないと思われる。
物事に完璧さを求めることは一見良いことのように思われるが、寛容さやゆとりを失い、ともすれば視野狭窄に陥る危険性を孕んでいる。
完璧さを追い求めるあまりに見逃すものもあるだろうし、失うものもあるはずだ。
この世の中に完璧な人など存在しない。
僕はそう確信している。
人は不完全であるがゆえに「人」としての存在価値がある。不完全だからこそ、人は共同体を作り、助け合って生きてきたのだ。お互いの不完全さを補い合って、やっとこさ一人前の人として生きていくのである。
自分は完璧であり他人の助けなど不要だ、と本気で思っている人がいたとしたなら、その人は正真正銘の救いようのない大ばか者である。
実はこの世には自分は完璧だと思い違いをしている人たちが少なからず存在している。このような御仁と仕事をすると大変な目に遭うことになる。自分は完璧だと思い込んでいる上にプライドが異常に高い。自分のミスを認めない。その上、相手のミスを許さない。要は人としての器量・度量が小さいのだ。おそらく人望も無く、真の意味での尊敬を受けることもないだろう。
逆に一見完璧に見えて尊敬を受けている人は自分が不完全であることを十分に認識している。また他者にも寛容である。そのような人には自然と人望が生まれる。
物事には、特に仕事の場においては「ゆるさ」や「ゆとり」があることが重要になってくる。ゆとりやゆるさがあることで余裕が生まれ、物事がスムーズに運ぶことが多い。しかしながら、昨今の社会状況やビジネス環境はこのゆとりやゆるさを失っているように思えてならない。組織の末端にまで「完璧」さを押し付けているように見える。
例えば安さが売りの店の従業員までに過剰なサービスを求めている。ちょっとしたミスでもクレームをつける。このような態度は回りまわって己の首を絞めることになるということに気付いていないのだ。
物事に完璧さを求める行為は悪いことではない。
ある事に完璧さを追求することでそのものの質の向上につながることも多々ある。
しかし、ものには限度がある。
そして限界がある。
真に完璧なものなど存在しないということを常に心の片隅に置いて、日々生活していく態度が必要である。
この世の中に完璧な人などいない。
この事実は僕たちが生きやすい社会を成り立たせるための根底に流れていなければならない。