希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

カネがないと時間をつぶせないという人は危ないという件

何度もこのブログに書いているが、僕はヒマ人的生活を満喫している。

僕は「ヒマつぶしの達人」を目指している。それは余分なカネを使わずに楽しく面白く時間をつぶすことである。

 

僕は若い頃、時間つぶしが下手くそであった。

同時にカネを使わないとヒマつぶしができないと思い込んでいた。

多くの人たちはカネがないと時間つぶしができないと思い込んでいるような気がしてならない。余暇も消費資本主義のドグマに侵されているのだ。

 

ヒマつぶしはカネの有無に関係はない。

いや、むしろカネがない方が良い。

いかに楽しくヒマつぶしをするかに頭を使って創意工夫を凝らすことに意義がある。

とはいってもそう難しいことではない。

カネのかからない時間つぶしの方法なんていくらでもある。面白いと感じることは人それぞれだ。そして、カネがかかっている趣味等を見直し、本当にそれをしているときに楽しく感じているのかを再点検してみる。

 

僕はラジオを聴いたり、ネットで動画を観たり、散歩したり(時たまついでに喫茶店に入る)、本を読んでいるときが楽しい。

読書については書籍代がかかるが、今は本を買うだけの余裕はあるので(ほとんどが古書であるけれども)負担感はない。書籍代が捻出できないような経済状況であれば図書館に行けばいい。図書館では長時間いても注意されないし、規定の範囲内であればどれだけ借りても何も言われない。

ラジオについては受信機器が安価であり、ラジコは数百円払えば全国のラジオ番組が聴取できる。

ネットで動画を観たり、ラジコを聴くにはパソコンが要るが(僕はスマホを持っていない)それも今はかなり安く買える。僕が持っているノートパソコンは中古品で、とても安く買えた。

パソコンがあれば、動画を観たりラジコを聴いたりする以外に色々な用途に使える。ヒマつぶしにはもってこいである。

 

カネのかからないヒマつぶしはかなり有効な生存戦略になる、と僕は確信している。

時間をつぶすのにコストがかかると、そのコストを捻出するために働かなければならない。長時間働いて、つかの間の余暇にカネがかかるという状態は、資本主義に呑み込まれていることを意味する。その無限ループから抜け出さないと、貧乏暇なし状態はずっと変わらないままである。

 

僕はヒマ人だけれども、全く退屈ではない。時間が足りないくらいだ。

カネなしで面白くヒマつぶしをしようと志向した賜物である。

僕の今の生活様式、生き方が正しいとは思っていない。しかし、間違っているとも思えない。

いい加減に生きている僕のひとつの信念。

人生は大いなるヒマつぶしである、と。