僕はほとんどテレビを観ない。
最近のテレビ番組が面白くなくなってきたからだ、と言ってしまえば話がそれで終わってしまうので、なんやかんやと理屈をつけてみたい。
ひとつの仮説は僕の老化現象というもの。
何を観ても心が揺さぶられることがなくなってきた。だから、テレビを観る気が失せてきたという説。確かにこの頃は「感動」する機会がめっきり減ってきている。別のエントリーでも書いたが、小説を読まなくなってきたのも心が硬くなってきたことの証左である。
こうなってしまうと、テレビのコンテンツの質がどうのこうのという問題ではなくなる。何を観ても面白くないとかいう輩にどんな番組を提供しても同じである。
反証。
僕は深夜帯のテレビ番組は観ている。面白いと感じる番組も幾つかある。
となると、僕の老化現象にすべての要因を求めることは無理があることになる。
もうひとつの仮説。
それは本当にテレビ番組が面白くなくなったというもの。コンテンツの質の劣化にテレビを観なくなった要因を求めるもの。
特にゴールデンの時間帯の番組は似たようなものばかりである。グルメ、クイズ、旅、といったものに偏っている。ドラマも刑事ものと医療ものばかり。
民放は「視聴率」という強い縛りがあるので致し方ない面もある。
なかなか冒険的な企画は通りづらいのだろう。
だから、比較的縛りのゆるい深夜帯の番組に、僕が面白さを感じるものがあって、僕はそれらだけを観るということになっているのだろう。
結局は「人」の問題に帰結することになる。
番組制作のスタッフの質の問題になる。
僕が好んで観る番組のプロデューサーは特定の人たちに偏っている。
ただ、制作側の人たちの質の劣化があるというわけではないだろう。
テレビ局自体のマネジメントの問題が関わってくるのだと思う。
局によっては、面白そうな斬新な企画が通りにくいという内部事情が絡んでいるのでは、と推測する。
これはテレビ局だけの問題ではなく、この国の会社というものが抱えている宿痾と言える。いくら現場が優秀でも、会社の上層部が無能だとどうしようもない。
今は娯楽が多様化している。
ヒマつぶしのための道具も昔に比べて格段に増えた。だから、テレビを観なくてもなんら別条はなくなっている。そんな状況なのだから、テレビ番組を作る側も大変なのだと理解はできる。
したがって、金科玉条に「テレビがつまらなくなった」とバッサリ切り捨てても意味がないような気がする。
元々がテレビっ子だった僕からすれば、今の状況はちょっとだけ淋しい。
テレビにはテレビの良さがある。
そのテレビの良さは何かと問われれば、よくは分からないけれども、程よいヒマつぶしの道具であることは確かだ。「ヒマつぶし」というものは実は高度な文化的な営為である、と僕は思っている。
それとも多くの人たちが「ヒマ」自体を喪失しているのかもしれない。