希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

この世の中は正解がないことだらけであるという件

これから受験シーズンが本番を迎える。

僕が講師をしている進学塾でも追い込みにかかっている。

受験生は大変だなぁ、と思う一方で今から考えると受験なんて大したことないと思えたりもする。

学校での勉強、受験勉強には正解があるからだ。どんな難問・奇問にもひとつの正解がある。

 

この世の中には数多の社会問題が存在し、その多くは明確な答えがない。

あるいは一見正しいと思える答えが複数存在していたりする。

正解がある問いばかりに取り組んできた学歴エリートが(官僚や政治家、企業の経営者や幹部等)うまく対処できないのは仕方がないといえば仕方がないことである。

 

ニートやひきこもりの問題(僕はそもそも殊更に問題視することはどうかと思っているが)についても正解があるようでないし、幾つもの正しいそうな答えがある。

労働市場に復帰させることが正しいという意見・解決策があり、その人なりの「自立」を支援すべきであって無理に働かせることはないという考え方もまた正しい。

解決を模索する人たちの価値観が反映しており、その価値観自体に絶対的に正しいものはない。

いつの時代にも必ず問題として挙がる教育問題にしてもそうである。

 

貧困や格差の問題を経済成長によって解決できる、という言説を撒き散らす人たちが多くいる。経済成長無くしてこの社会は発展しないという言説と相似的である。

確かに資本主義体制下のこの社会では経済成長こそが問題解決の処方箋だという言説は一部頷けるものがある。しかし、絶対的に正しい解ではない。

経済成長至上主義的イデオロギーを妄信することによって、さらなる社会問題を生み出していることを忘れてはならない。

 

僕たちは社会の一員として生きていくうちに、様々な問題に遭遇する。

すっきりと解決できる問題はほんの一部である。ほとんどの問題は幾つも正しいとされる答えがあってその都度なんとなくしっくりとくる解決策を選択している。あるいは正解が見つからず、その問題を先送りしてうやむやにしたりしてやり過ごすことも多い。

このような態度は悪いことではない。

そもそもある問題に対応する唯一の解決策がある、という考え方が誤っているのだ。

この世に存在するあらゆる問題をズバッと解決できると吹聴する輩が表れたら、その御仁を信用してはならない。歴史上、この手の輩が独裁者となり、偽りの革命者になったりしてきたのである。

 

僕たちが次世代を担う人たちに伝えるべきことは、あらゆる社会問題には絶対的唯一の解はないということなのかもしれない。

なけなしの智慧を持ち寄って最適解を導く不断の努力を続けることしかできないということなのかもしれない。

この世に数多存在する社会問題に対応する絶対的に正しい解決策があると確信する思考様式を採ることはとても不遜なことだと思い至る謙虚さが必要なのである。