希望の舎―再生編ー

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ニートや引きこもりは社会からの「脱落者」ではないという件〈再掲〉

ニートや引きこもりの人たちは社会から落ちこぼれた人たちだと捉えられがちである。

そんな認識ではいつまでたってもこの問題は解決しない(そもそも「問題」ととらえるのが間違っている)。劣悪な労働市場に無理やり放り込んでも元の木阿弥である。

要は「生き方」の問題なのである。

 

初出 2018/10/25

 

ニートやひきこもっている人たちの一般的なイメージは現行の社会に馴染めない脱落者や逸脱者というものだ。

確かに働くことができない、学校へ行くことができない、ということは真っ当ではないとみなされやすい。世間ではきちんと学校へ行ったり働いたりすることが「一人前の人」であることのディフォルトとなっている。

 

ニートやひきこもりに至っている人たちを救済する決定的な手立ては存在しない。なぜなら、彼ら彼女らに経済成長至上主義的イデオロギーあるいは労働至上主義的イデオロギーに基づく価値観をベースにした救済策が一向に効果がないからである。

ニートやひきこもりの人たちを学校に戻したり、労働市場に戻すことが正しい策だと思い込んでいるところが齟齬をきたしている要因となっている。

学校に休まずに通ったり、雇われて正社員として働くことが唯一の正しい生き方だと強制することはもはや正しいものではない。前世紀の遺物だともいえる。

 

ニートやひきこもりの人たちは単なる怠け者ではない。ほとんどの人たちがこのままではいけない、今の状態から脱したいと切望している。人並みに働きたいし、人並みの生活をしたいと願っている。ただ、「苦役としての労働」や「苦役としての学校生活」に恐怖心を抱き、立ちすくんでいるだけなのである。

他人との競争に勝ち続けるためにいい学校を出て、いい会社に入るというライフスタイルに忌避感を抱くことは異常なことではない。どちらかといえば、そのようなライフスタイルを疑うことなく受け入れることこそが異常なのかもしれない。

 

ニートやひきこもっている人たちに対して、前世紀の遺物的な価値観を押し付けても無駄なことである。「自立しろ」と言っても、「カネを稼げるようになれ」と言っても、「四の五の言わず働け」と言っても、「なぜそうしなければならないのか」と言い返されれば、二の句が継げなくなるのがオチである。

ニートやひきこもりの人たちに社会からの脱落者という負のレッテルを貼るだけでは何も解決しない。周囲の大人たちが異常者や脱落者というレッテル貼りをして独りよがりな安心感を得ているだけなのである。

 

もしかするとニートやひきこもっている人たちは少しだけ「先を行っている」のかもしれない。

前世紀の遺物的な価値観を克服する可能性を秘めた存在なのかもしれない。

右肩上がりの経済成長を是とする遅れた価値観から右肩下がりの社会をそろそろと下るという新しい価値観の担い手になりうる存在である。

引きこもっている彼らを共同体と繋げるためには、彼らを肯定し、既存の価値観(正社員として働くことが正しい等の)を押し付けず、負のレッテル貼りを決してしないことがそのための有効な手立てである。 

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