希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「やってみなければ分からない」ことを理解できない人とは話ができないという件

僕は「やってみなければ分からない」をモットーにしている。

まあ実際にはなかなかそうはいかないけれども、何かひらめいたらまずはやってみることだと自分に言い聞かせている。

 

僕はこれまでに「やってみなければ分からない」と思い立って色々なことをしてきた。正規職員を辞めてフリーの講師になったり、社労士事務所を自営したり、福祉関係の仕事(ソーシャルワーカーとケアワーカー)にいきなり飛び込んだりしてきた。どれも経済的な成功には至らなかったが、貴重な体験をしたと自負している。

僕はこれまでの自分の生き方に全く後悔はしていない。ただし、傍からはフラフラしていて定まった生き方をしていない、と見られていたようだ。苦言を呈されたことも一度や二度ではない。

 

僕からしてみれば「やってみなければ分からない」ということは自明のことだけれども、どうやら世間ではそうではないらしい。

僕や何か新しいことを始めた僕の周囲の知人・友人たちは周囲からの同調圧力に悩まされたことが例外なくある。

この同調圧力とは「やってみなければ分からない」という態度は無責任であって、きちんとリスクを無くして、成功が確約された状況になるまで待ってから何かを始めろ、といった類のものである。ある者は善意で、ある者は妬みややっかみで、そういった忠告を行う。

 

先のことは分からない。

分からないからこそ、見切り発車であっても道を切り開こうとするのである。先が分からないからこそ面白いのだ。たとえ失敗するにしてもチャレンジすることに意味があるのだ。この当たり前のことを理解できない人たちが意外と多い。「安定」を人生の第一義としている人が多い。

確かにチャレンジに失敗すると、その後の生活に支障をきたすこともある。この社会はチャレンジや失敗に不寛容な社会である。しかしながら、安定なんて幻想に過ぎないと捉え、失敗しても生き延びる術を少しでも心得ておけば何とかなるものだ。

 

リスクをゼロに近づけて(そんなことはできないが)成功する算段をつけるまで待っていては寿命がいくらあっても足りない。そうこうしているうちに機を逃してしまい、何もせぬままに人生を終えてしまう。

僕はそんな人生は真っ平御免である。

僕は幻想に過ぎない「安定」というものにしがみつきたくない。

もちろん、安定した生活を営み、それを大事にしている人たちを否定しない。それはその人たちの生き様であり、人の生き様に口出しすることは愚の骨頂である。同様に「やってみなければ分からない」といった行動様式に則って何かを始めようとする人に口出しすることもまた愚の骨頂である。自分の価値観を人に押し付けてはならない。

 

僕はこれからも「やってみなければ分からない」という行動原理を大切にしたいと思っている。これと似たようなことをする人たちを素直に応援したいとも思っている。

この世では一寸先は「光」であることを信じて。

 

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