希望の舎―再生編ー

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苦労することを賛美するのはとても無責任だという件〈再掲〉

この国の人たち、特に年輩者は苦労話が好物である。

「苦労しなければ一人前じゃない」といった類の妄言を信じている節がある。こんな精神主義や根性主義がまかり通っているようではお先真っ暗である。

 

初出 2017/1/12

 

僕は苦労なんてしたくない。

できれば楽をして生きていきたい。

効率的に稼いで自由時間をたっぷりと確保してその自由を満喫し面白く楽しく生きていきたい。

 

「苦労は買ってでもしろ」と先人は言ったらしい。この言葉を金科玉条としている人が結構いる。成功者と言われる人の中にも苦労は多くした方が良いといった類の教訓を垂れる人がいる。世間ではそのような人たちの言葉をありがたく受け取る風潮がある。

何のことはない。成功者はその道で成功したから苦労しろ、と無責任に言えるのだ。苦労と成功の間に相関関係はない。苦労なんかせずに、あるいは苦労とは感じることなく成功した人なんてごまんといる。

成功者といわれる人たちは本来ならば苦労なしで効率的に成功する方法を広めるべきである、と僕は思っている。

 

苦労することを賛美することは悪しき精神論、根性論に即時に転化する。

何事かを為すためには苦労せねばならない、となると人のチャレンジ精神を削ぐことにもなりかねない。

通常、成功に至るプロセスを踏むことは「苦行」「苦労」であってはならない。それは「快楽」を伴うものであって然るべきである。

世の多くの人たちは楽しんですいすいと成功した人を好まない傾向がある。「うまいことやりやがって」とそのような成功者を妬み、ひどいときには引きずり降ろそうとさえしようとする。苦労することは成功者の免罪符的なものなのかもしれない。

 

若者をバッシングする若者論のひとつに今時の若者は苦労が足りないからダメだ、というものがある。これは全く根拠の無い俗論である。

多くの苦労をした人が人格者であるというのはこれまた根拠の無い俗論である。散々苦労をして人格が歪み、人間不信になった人なんて星の数ほどいるのである。

 

要は人というものは、他人の成功を心から喜ぶことができず、その成功を妬み、その妬みや嫉みを正当化するために苦労云々を持ち出すのである。

エリート的な人たちに対するネガティブな感情もその表れだと言える。

人は生まれながらに持つ資質に差がある。これは否定できない事実であるにもかかわらず素直にそれを受け入れることができないのだ。悪しき平等主義に毒されているのである。人はすべて平等である、というのは幻想に過ぎないのにである。

 

僕は苦労することを賛美し、他者に苦労することを強いる人を信用しない。

自分の苦労話を(その苦労によって成功した俺ってすごいだろう的な)得意げに話す人たちのメンタリティが理解できないし、その言葉は全く耳には入らない。自分の苦労話を恥ずかしげもなく他者に押し付けるのは品のない行為である。

 

苦労なんてしないに越したことはない。

傍から見ればものすごい苦労をしているのにそれを淡々と話す人、苦労なんてこれっぽちもしていないとあっけらかんとしている人が僕は好きだ。

そのような人たちはみないい顔をしている。

  

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