希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

秘密結社的なものを作って助け合いを行うと面白いかも、という件〈再掲〉

今は「連帯」ができにくい時代である。

助け合いや支え合いの精神も薄れてきている。

しかしながら、人は「社会」「共同体」を作ってしか生きていけない生き物である。「結社」をして社会と向き合うという方法もありなのではないだろうか。

 

初出 2016/11/17

 

僕が子どもの頃、テレビ番組で仮面ライダーウルトラマンなどのヒーローものが好きでよく観ていた。正義のヒーローに感情移入するのは当然として、僕は敵役にも面白みを感じていた。

世界征服を企む「秘密結社」というものに甘美な想像力を掻き立てられたのである。

 

この「秘密結社」という言葉の響きには未だに心惹かれるものがある。

結社の成員のみに許された儀式や独自の合図、独自の掟などになんとも言えない背徳感を覚えたのである。

 

お隣の大国、中国では数多くの結社があり、社会に大きな影響力を及ぼしているという。決して共産党の統制が隅々までに及び、個人を抑圧し、結社を全く認めていないというわけではない。古来から存在する秘密結社を黙認、あるいは手を結ぶことによって中国社会の発展を企図している。

 

僕は中国のような秘密結社とまではいかなくても「なんちゃって秘密結社」的な組織・団体を全国津々浦々に作り活用すれば、閉塞した日本社会を活性化するかもしれないと密かに思っている。

秘密結社の特徴は他の組織・団体とは異なり上下関係ではなく義兄弟の契りを結ぶ「水平的」な関係を基にしているということだ。お互いが基本的には対等な関係なのである。

そして結社の成員たちは相互扶助を旨とし、大概の困難な出来事に遭遇してもお互いに助け合うのである。自助と共助を強調することで、国家には頼りきりにならないというメンタリティを有する点が面白い。

 

この国では「個別社会」「中間団体」の力が極度に弱体化し個人が直接的に全体社会、国家に向き合うようになり、個人の存在基盤が揺らいでいる。一言でいえばとても生きづらい社会になっている。ひとりひとりがその弱さをカバーしうるような受け皿が是非とも必要なのである。

その対応策のひとつとして「秘密結社」的なものがいいのではないか、と僕は考えている。

 

秘密結社という語感から、おどろおどろしいものを想像しがちだが、元々は同業者あるいは出身地を同じくするといったライトな感覚で作られたものが原型である。

例えば大阪の泉州出身者の互助組織とか、非正規雇用で働く人たちの互助組織でもいいのである。イメージとしては県民会や地域ユニオンに具体的な生活互助的な権能を加えたものといった感じである。ある利害を共有しつつ普段の生活の相互扶助を行い個々の生活を守り抜くための組織なのである。ただし、結社への加入が全くのオープンだというわけにはいかない。ある程度の基準やルールが存在する。この手の結社の数が増えれば自分にマッチした結社が存在する確率は高くなる。あらゆる職能や地域をカバーするほどに秘密結社が結成されれば面白い。

 

僕も秘密結社に加わるか、あるいは秘密結社を作ってみたい。

その秘密結社を大きくして世界征服を行うことが僕の望みである、というのは真っ赤な嘘だ。