人は誰もがわが身が一番大切である。
自分が手にした社会的地位や役職は何としてでも守りたいというのはある意味当たり前のことである。
老害と謗られながらも自分の地位にしがみついたり、無能だと謗られながらも役職にしがみつくことは傍から見ていれば見苦しいと思うが本人からしてみれば必死の足掻きなのである。
政治家や官僚、企業の不祥事が起こるたびに関係者の自己保身に汲々とした態度が批判される。
確かに自己保身ばかりに腐心している姿は褒められたものではない。説明責任を果たさずに、自分の責任を回避しようと悪あがきしている様は、その人の人間性をも疑わせる。
元外務省主任分析官の佐藤優氏の一連の著書には自己保身に走り、国益を損ね続けたキャリア官僚の姿が描かれている。権力を持つ者が自己保身に走るととんでもない事態に陥る。
国益や公益を担う者が私益に走ると国家の舵取りを誤らせ、ひいては国民に著しい不利益をもたらすことになる。しかも、僕たちは自己保身に走り、私益に塗れた官僚を罷免・弾劾するすべを持たないのだ。
僕は人が自己保身に走るのは仕方がないと思っている。人が持つ「業」のようなものだと考えている。
また、組織はその成員が自己保身するがゆえに維持され回っているという側面がある。
組織が円滑に運営されるためには、ひとりひとりが忠実に各自に割り当てられた役割を果たさなければならない。役割から逸脱する者が現れれば、波風が立つ。組織を存続させるためには、自己保身というメカニズムを組み込ませる必要がある。
組織で不祥事が起きても、何より大切なのはその組織の存続であり、自分の地位・立場を守りきることなのである。
そして、俗っぽい言い方をすれば人は誰しもわが身が第一なのである。自分がようやく手に入れた役職や地位を捨ててまでも、「正義」のための行動を起こすことは難しいのである。
仮に「正義」の行動を起こしても、いっときは賞賛されるかもしれないが、熱が醒めると世間では「裏切り者」扱いされる。組織を裏切ったという事実がずっと付いて回ることもある。組織に留まったとしても村八分に遭うし、組織を飛び出してもなかなか他の組織では受け入れてくれない。
組織の論理は時に非情なものとなる。
人は自己保身に走るものだと常々そう捉えておかなければならない。自分が何かを為そうとするときもこのことを常に念頭に置いておく必要がある。後で泣きを見ないためにも。
僕は組織の論理に絡め取られることを潔しとしないが、現実にはそうも言っていられない。
さて、組織に埋没せず、自己保身に走らないようにするには、どう生きていけばよいか。
僕はその答えを追い続けている。