希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕は「はみ出し者」として生きていきたいという件

僕は勤労意欲が低くてとても会社に雇われて正社員として働き続けることができない。これまで何度も正社員として働くことを試みたけれどもどこも長続きはしなかった。

世間で言うところの真っ当な生き方ができないダメ人間なのである。

以前は自分がダメ人間である、ということが受け入れられなくて無駄な足掻きを繰り返していた。

 

世の中の大多数を占める雇われ人という生き方ができないのならば、フリーランスという生き方をするしかないと考え、僕は社労士の資格をベースとしてコンサルタントもどきの仕事を10年余り続けた。

フリーランスという生き方・働き方は僕の性分に合っていたように思う。不安定さも慣れてしまえばどうってことはない。先が見えないということは考えようによっては光り輝く未来が待ち受けているととらえることができる。

 

僕がフリーランスで働いているときに時々自分は世間の「はみ出し者」だと感じたことがあった。僕の思い違い、被害妄想の類かもしれないけれども。今でもこの「はみ出し者」感を抱くことがある。

どっぷりと所属する組織がなくて社会的地位や肩書がない状態、むき出しの個人として世の中と向き合っていると足場がなくてフワフワとしているな、感じるときがある。

 

この「はみ出し者」感はネガティブなことばかりではない。

世間のしがらみから完全には逃れることはできないが、かなりの程度緩和されている。ある程度は自由な生き方ができている。この「自由」には自己責任が伴うが、受け入れ可能なものであって、悲壮感とは程遠い。

要は自分の食い扶持分は何とか稼ぎ出して、後は野となれ山となれ、といった感じのものである。世捨て人にはならなくても、世間とは一定の距離を取った生き方である。

 

僕は世のサラリーマンをはじめとする「真っ当な生き方」をしている人たちは何と忍耐強いのか、と感心するばかりである。不平や不満は沢山あるのだろうけれども、それらを手なずけて確実に日々の生活を営んでいることに尊敬の念を覚える。

それらの市井の人たちを批判することは容易いし、僕も時たま批判めいたことをしている(サラリーマン根性に毒された人たちに対する批判等)が、決して貶めようと意図しているわけではない。

やはり、人は真っ当に生きた方が良いに決まっている。

 

僕は人より抜きんでたものを持っているわけではない。それなのに真っ当に生きることができない。真っ当に生きようとすると、僕の心と体がそれを拒もうとする。

好むと好まざるとに関わらず、僕はやはり「はみ出し者」として生きざるを得ない。

世間のどこか片隅に自分の居場所を見つけるしかないのだ。

少しばかりの反骨心を持ち、「寄らば大樹の陰」的な生き方を拒みながらも。