この国の悪しき風習のひとつとして雇用契約においてきちんと文書で契約書を交わすことなくうやむやにしてしまうことがある。
契約において内容を確認し、それを文面にすることは当然のことである。労働契約の契約制を軽視し会社側の恣意に大きく左右されることが大問題なのである。
初出 2015/9/29
真偽の程は定かではないが、就職試験の際に労働時間や賃金、残業時間等の労働条件を聞くような人は採用しないという言説が流布している。
特に新規学卒者の就活においてよく語られている。労働条件を聞くような学生は意欲を疑われるらしい。会社としては労働条件を聞くような学生よりも、会社に従順である会社人間予備軍的な学生が欲しいと言うのが本音だろう。
よくよく考えてみればおかしな話である。
会社に勤めて働くということは、労働契約に基づくものである。契約であるからその内容を吟味しなければならない。疑問点や不明点などはきちんと確認するのが当たり前である。
働く者にとって労働条件は労働契約の締結にあたり最重要事項である。労働条件を曖昧にしたり、一方的に会社に有利な内容にしたりすることは契約の本旨に悖るものである。
面接時あるいは内定の際に労働条件を明示せず、いざ採用となったときに求人票の内容と異なる労働条件を押し付けられるという話はよくあることである。これは一種の詐欺行為に等しい。
会社に疚しい所が無ければ、就職試験や内定の際にきちんと労働条件を明示できるはずである。
会社側にしても労働者側にしても、労働条件をきちんと定めて確認する労働「契約」の意識が乏しいのである。
この「契約意識」の欠如がこの国における労働問題の根底に流れている。
特に新規学卒者の就活において労働条件を重視する姿勢が忌避されるのは象徴的である。
労働条件にこだわる学生は扱い辛い、仕事に対する姿勢がなっていないとするメンタリティはその会社の労働者に対する意識を表している。労働者は会社の駒や歯車程度の存在なのだ。駒や歯車が意志を持つことなぞ許さないということだ。働かせていただけるだけでありがたいと思え、と言いたいのだ。
この国に根付いている「労働至上主義」や「勤勉至上主義」が労働条件をないがしろにする風潮を呼び込んでいる。給料や労働時間や休暇を云々するのははしたないという悪しき風潮である。労働条件に気を向けるヒマがあるなら、その分だけ一心に働けといった具合に。
労働者にとって労働条件の内容は生活を大いに左右する生命線である。会社の経営者だけでなく上司や時には同僚までもが、労働条件にこだわるのは卑しい行為だとの圧力を加えることがある。ブラック企業がのさばるのも頷ける。
新卒者も転職者も労働条件を確認するのは当たり前である。それを許さない世間の風潮が間違っているのである。
労働条件を確認するとイヤな顔をするような会社なんかには勤めない方がよい。どこかに疚しい所があるのは必定である。
まともな会社は会社側からきちんと労働条件を明示する。
そんなまともな会社が多数派になれば、雇用環境も良くなる、はずである。