僕は要領の悪い人、能力の劣る人、仕事ができないひとたちを見下していた。
学歴や社会的地位や勤務している会社や役職で相手を値踏みしていた。
これらをすべて払拭できたとは言い切れないが、僕は相手を見下すことを戒めている。
初出 2014/10/4
僕たちは自分が自分であることの確認を常に行っている。
自分が何者かをいつも問い続けている。
他者よりも少しでも優位に立ちたいという抜きがたい本能がある。
自分が他者よりも秀でていると確信したいがために、例えば容姿、学歴、職業、社会的地位などを基にして他者と比較して少しでも優位にある部分を見出そうとする。
そして、その優位にある点を誇示する。
それは劣位にあると思われる人たちを見下すことにつながる。他者を見下すことによって自分の立ち居地を確保し、安心感を得る。
もちろん、僕も例外ではない。
知らず知らずのうちに他者を見下してしまうことがある。
かつては低学歴者、ビンボー人、フリーター、ニートといった人たちを自助努力もしない怠惰な人間であると見下していたのである。
ところが、僕がビンボー人となり、フリーターとなるに及んで、また様々な人たちとの出会いがあってその考えを改めたのだ。
そこで、僕はこの社会のエスタブリッシュメントの無能さや教養の無さ、無責任さを見下すことにした。社会的強者に対しては見下すことも許されると思ったからだ。
しかし、この態度もおかしいのではと思うようになった。強者を見下してもただの自己満足である。負け犬の遠吠えに過ぎない。単に社会的強者であることをもって見下すことは、無責任な体制批判に堕してしまうことになってしまう。
無責任な批判は僕が最も嫌うことである。
一番したくない行為である。
僕はかつての「左翼」や「進歩的知識人」に不信感を持っているが、それらの輩と同じようなことをしたくはない。
やはり、対案をもった責任のある根拠のあるリアルな批判をしていきたい。
社会的弱者に限らず強者に対しても見下すという態度は「まともな大人」がすることではない、と思い至るようになった。
「上から目線」が大嫌いなくせに、自分が「上から目線」でどうする、と反省しきりである。
あらゆる他者に対して同じ目線で物事を語るようにしなければならない。
言うは易しだが、いざ実行するとなればこれがかなり難しい。
自分が他者よりあれやこれやが優れているという思い込みを断ち切ることがなかなかできない。
僕は他人を見下すような人間にはなりたくない。
一生をかけて克服すべき課題である。
僕の人生においてのひとつの大きな目標である。