希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

社労士時代にしてきたことを軽く懺悔する件

僕は30代初めのころから40代の半ばまで大阪市内を拠点にして社会保険労務士事務所を営んでいた。

強い意志をもって開業したわけではない。当時は雇ってくれるような社労士事務所がほとんどなくて、会社に人事労務担当で就職するのも嫌だった。数校の専門学校の講師を掛け持ちしながら、どうしようかとあれこれ動いていた時にたまたま開業するきっかけがあって、流れのままに事務所を開いたわけである。コネなしカネなし顧客なしのないないづくしからのスタートだった。

 

開業してから3,4年ほどで顧客も付きだし何とか生活費は稼げるようになったのだけれども、今から思えば「荒っぽい」仕事もこなしていた。

当時は政府からの各種の助成金が充実していて、労働時間を短縮したり、定年を延長したり、中高年の人たちを雇い入れたりしたときの助成金制度がいくつもあった。この助成金制度の申請代行業務は社労士にとって「おいしい」仕事であった。受給にこぎつければまとまった額の報酬が得られたからである。僕は不正受給に手を貸したりはしなかったが、グレーな感じのものがあったのは事実である。

労働者を雇い入れた際に貰える助成金は当該の会社が社員を会社都合で

解雇した場合には受給できなくなる。だから関与先では社員を自己都合退職に無理やり持っていったケースもあった。実質的には会社都合の離職だけども、助成金を受けるために辞める社員をなだめすかして自己都合退職にしたのだ。

 

僕は助成金の仕事があまり好きではなかった。だから、顧客が増えてくるとスポットの助成金申請の仕事は受けなくなった。顧問契約を締結した会社の助成金申請業務だけをするようになった。

僕が力を入れた業務は労働条件の改善である。労働基準法やその他の労働法令を守れるように会社に助言し、その体制づくりをするのである。

僕は経営者と労働者の双方にとって利益となるような仕事をしたいと常々思っていた。しかしながら、現実は顧問料を払う経営者に寄ったものになってしまうことが多かった。例えば週40時間の労働時間という規定を守るために、変形労働時間制を多用して、必ずしも労働者の待遇が良くならないような勤務体系を作ったりしていた。

僕が今、労働者側の立場に立ってものを言うのも、このときの反省からきているのである。

 

僕はこのブログでは書けない(違法ではないが)ようなことをして、労働者の待遇を悪化させることを随分としてきた。あのまま社労士を続けていたら、POSSEの今野さんの言うところの「ブラック社労士」になっていた可能性は十分にある。経営者の犬に成り下がっていたただろう。

貧困問題や労働問題にコミットする意欲なんて全く生じずに、ただ私利私欲のためだけに生きる人生になっていただろう。

 

僕は社労士事務所を開業し、フリーランスとして活動してきたことを全く後悔していない。なかなかに楽しい日々であった。自分の血肉となる経験も多く経てきた。

ただ、軽く懺悔をしたい気分である。

あまりにも経営者の意に沿った仕事をしてきたこと、労働者の権利をないがしろにしてきたことに。

僕はこれからは会社や経営者連中の横暴さ卑劣さを糺し、労働者の生活を守るためにものを言うことを決して忘れない、ということを心に刻んでおきたい。