2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧
社会保障制度が現行の社会を成り立たせるのに不可欠なものである、ということは多くの人たちが肯定している(ごく一部のリバタリアンは社会保障を否定しているが)。 生活に困窮する人や自立を阻害されている人たちを支援するのは当然の国家の責務である。 戦…
僕は学校というものに不信感を抱いている。 小学生の時に不登校になり、その不信感は拭い難いものとなった。 そして、暗黒の中学校時代を過ごすことによってそれは増幅されることとなった。 僕の中学校時代というともう30年以上も前のこととなり、記憶のディ…
無職であるということは、ただ単に今は仕事をしていない状況であるということに過ぎない。無職であるというだけで人格否定されたりするいわれはないはずである。 社会人とは仕事をしているしていないに関わらず社会の構成員としてそこにいるということだけで…
僕が若い頃、勤め人をしているときに風邪をひいたり、腹具合が悪いといった理由で仕事を休むと上司に詰られたものである。 「自己管理がなっていない」 「気合が足りない」 といったような言葉を投げかけられた。 ちょっとした体調不良で仕事を休むなんて社…
僕たちは幼い頃は全能感に包まれている。世界の中心に自分がいて、自分以外の他者はすべて自分に注意を注いでいると感じている。 年齢を重ね、自我らしきものが芽生えると同時に、実は自分という人間は取るに足らないどこにでもいるありふれた存在なのではな…
僕は毎日を機嫌よく過ごしたい。 今の僕の生活の指針はこれだけである。 機嫌よく過ごすために必要なことはそれほど多くない。 嫌なことは嫌と言う、嫌なことはできるだけしない。世間の人を判断する評価基準に踊らされない。必要以上のカネを求めない。まあ…
相手を鼓舞するときによく「逃げてはダメ」といった類の言葉を吐くことがある。 これは時には効くけれども、しばしば相手を追い込むことにもなる。 生きていくうえで「逃げ場」も必要になるときがある。 初出 2018/8/23 僕たちは子供の頃から、「逃げてはダ…
僕はビンボー生活を長く続けている。 カネのありがたみは人一倍分かっているつもりだ。 でも、目先のカネのために魂を売り渡すような真似だけはしたくない、と常々思っている。 貨幣・通貨とは効率よく商品やサービスを手にするために作られた交換手段のひと…