希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/医療人類学/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケイシー/生きづらさ/シャーマニズム

気合で物事を片付ける人を僕は信用していないという件

僕は昔から気合とか根性という言葉が嫌いである。

このブログでも何度も言及しているように精神主義的メンタリティというものがどうにも肌に合わないのだ。

 

ある課題があって、それを気合や根性で乗り越えろというのは即思考停止につながるものである。まともな知性がある人の行う所業ではない。

行き過ぎた精神主義は知性を蔑ろにする。あるいは知性を敵視することにもなる。

 

気合や根性を重視する態度は何も「ヤンキー」系に限るものではない。

この国では古来から精神主義的メンタリティにどっぷりと浸かっているのである。

スポーツの世界においては気合主義・根性主義が未だに幅を利かせている。

長時間労働を強いて、低賃金で働かせて、それでいて生産性が低いという事実はその証左である。

 

気合や根性が好きな輩は、空疎なスローガンを好む。

戦前の「欲しがりません、勝つまでは」「ぜいたくは敵」。

昨今の「一億総活躍社会」「女性が輝ける社会」

何も変わってはいない、昔も今も。

 

僕が嫌いな気合主義の具体例は「素手でトイレ掃除」運動である。

今は便利で合理的な掃除器具があるのに、わざわざ素手で行う意味が分からない。

大の大人が勝手にするのなら放置しておいてもいい。しかし、それを児童に強制するのはいかがなものか。単なる児童虐待である。素手でトイレ掃除を行うことによって「心が磨かれる」といった妄言をトイレ掃除を強制する側は吐く。これにいかがわしさを感じるのは僕だけなのだろうか。

僕が社労士事務所を営んでいるとき、有志と勉強会を開いていた。ある時、講師を招いてちょっとした講演会をしてみようという話になった。講演のテーマを何にするかという話し合いをしていて、「トイレ掃除で企業業績が上がる」という著書を書いているある人を講師に呼ぼうということになった。僕は反対したのだけれども、少数派だった。

講演会は盛況のうちに終わった。件の講師(とその仲間)はトイレ掃除を出張して行っていてしかも素手で行うことに意味があると繰り返し主張していた。

トイレ掃除と企業業績に相関関係はない。ただトイレ掃除と「心のありよう」なら何らかの関係があるかもしれない。そういえば、一昔前に「トイレの神様」という歌が流行っていた。

この経験は、僕にこの国の人たちの多くは精神主義的なエピソードが大好きなんだということを教えてくれた。

 

僕は気合や根性が全く不要なものだとは思っていない。時として必要な場面に出くわすことがある。

しかし、万事を気合で片づけるという態度に同調することはできない。

精神主義は合理的な思考や問題を深く掘り下げて考えるという営為を排除することもある。

ぼくはそれを全く好まない。

まともな人が採るべき態度とも思わない。

気合や根性論が好きな人たちが多数派であっても、僕は少数派を貫いていく。

 

 

権力を持つ者に対する批判や風刺が許されない社会は息苦しいという件

僕は「お笑い」が好きだ。

力を持っている者、威張っている者たちを茶化し、批判し、笑いに昇華させる、そんな芸人たちをリスペクトしている。

昨今は政権寄りのコメントを発する芸人もいるが、それは芸能に人生をかけてきた先人たちに顔向けできない所業である。

かつては芸能に携わる民は卑賤視されていた。と同時に神聖視もされていた。常人を超えた芸に民衆は拍手喝采を送り、芸人達も常民とはみなされぬ我が身の宿命を受け入れつつ、芸道に没入していたのである。

 

芸人に限らず、各分野で権力を有する者に対しての風刺や批判は必要不可欠なものだと僕は思う。

しかし、近年、いわゆる権力者に対して批判めいたことを言えば、その人がバッシングを受けるケースが多発している。政治、芸能、スポーツ等分野を問わずに。

これはとても危険な兆候である。

「長い物には巻かれろ」「寄らば大樹の陰」という俚諺が示すように、古来から強大な力を持つ者には抵抗するな、するだけ無駄だというメンタリティが存在する。

確かにそれは市井に生きる庶民の処世術なのかもしれない。

しかし、その生き方が本当に人間らしいものなのかは疑問である。

 

いつから、こんなものを言えば唇寒しの状況になったのだろうか。

戦後は言論や表現の自由が保障されているはずである。

僕の全くの個人的な見解、皮膚感覚なのだけれども、それは2000年代の終わりころからだと思う。

10年ほど前にある名物深夜ラジオ番組が突然の打ち切りになるという事件があった。

大阪の朝日放送で放送されていた『サイキック青年団』である。

通常は番組終了となると事前に告知がある。ところが当該番組では打ち切りの直前まで普通に放送され、番組終了の告知もなかった。打ち切りの日に突然終了が告げられ、音楽が流れっぱなしになるという異例の事態になったのだ。

この番組は様々な分野の「権力者」を茶化し、批判し、笑う、というスタンスであった。時には業界のタブーに切り込むことがあった。

この打ち切り事件は、様々な憶測を呼ぶことになった。打ち切りの原因は巨大宗教団体を批判したからだとか、ある芸能事務所を茶化したからだとか。その真相は未だに藪の中である。

 

大きな力を持ち、その力を恣意的に振るっている者たちを批判するのは当然の行為である。また、「下からの」批判を封じることがあってはならない。批判をしたものに対していわれのない中傷やバッシングをするなんて言語道断である。

権力者に逆らうな、という愚かなメンタリティは、いつかそれが我が首を絞めることになる。

権力者に対して、茶化したり風刺をしたり批判することができないような社会はまぎれもなくディストピアである。

 

この社会は「優しさに満ちた、冷酷な」社会であるという件〈再掲〉

日本の良さを紹介する番組は多い。

おもてなしの精神に満ちた優しい国であると語られる。

果たして本当にそうなのだろうか。

僕はこの国が他人に冷たくて不寛容であるというように思えてならない。

 

初出 2018/12/4

 

一般論として、この国の人たちは親切である。外国人旅行者もそう感じているという。

僕の肌感覚としては、「内輪の人たち」には確かに親切に振舞うと思う。

僕たちはこの社会は優しさに満ちたものだと思っている節がある。

電車に乗ったときのアナウンス、それぞれのショップでの店員の接客等々確かに一見優しさに満ち、親切心に満ち溢れている。

 

しかし、僕はこの社会は他者に対して冷酷な社会だと思っている。

共同体の掟に「まつろわぬ」人たちに対してはものすごく冷酷になり、時として排除する。

 

新卒一括採用は、新卒で働こうとしている人たちにとっては優しい制度である。

なぜなら、職歴もまったくない学生に対してその潜在能力に期待をかけ、そこそこの処遇で雇おうというのだから。全く右も左も分からない新米を会社の正式なスタッフとして向かい入れるのだから(批判はあるとはいえ)優しい制度である。

しかし、この新卒カードを使わなかったり、使いそこなった人たちに対しては一転して無慈悲になる。職歴にブランクがあるというだけで、職に就く機会が損なわれる。

事情があって非正規雇用の職に就きあるいはフリーランスの形で仕事をしたりして、一定期間それが続くと途端に正規社員の道が閉ざされる。

 

学校教育、特に義務教育期間は生徒がまともに通学している限り、至れり尽くせりの「やさしさ」をもって生徒に相対する。ただし、これは生徒を現体制に従順に従わせるため均質化し馴致するものであることを忘れてはならない。

ある生徒が学校というシステムに少しでも異議申し立てをしようものなら、冷酷に切り捨てることになる。

学校教育というシステムから逸脱した人たちに対する、世間の冷酷さは例を挙げればキリがない。

 

生活に困窮した人たちに対しての対応をみても、やさしさと冷酷さが混在している。

生活に困窮した理由が真っ当なものだと判断され(失業や病気等)、本人が血の滲むほどの努力をしてもなお事態が好転しないという瀬戸際になって、本人が首を垂れて助けてほしいと意思表示してはじめてわずかばかりのやさしさが向けられる。

生存権を主張したり、支援を受けるのが当然というそぶりをみせたりすると途端に周囲は冷酷になる。自己責任論の大合唱が起きるのだ。

 

以上にあげたケースばかりでなく、この社会は一見やさしさに満ちていて、実は冷酷である。

現行の体制に従順であって、共同体の枠内でいるうちはわずかばかりのやさしさが向けられることがある。多くの人たちはこのやさしさを言挙げして、この社会は親切心にあふれた良い社会だとの幻想を抱いている。

体制にまつろわぬ人たち、共同体から逸脱した人たち、様々なマイノリティの人たちに対しての世間の冷たい眼差し。

均質化圧力に抗う人たちに対する同調圧力

繰り返し巻き起こる自己責任論の大合唱。

僕のような少数派、異端者は、この冷酷な社会の中でその冷酷さを熟知しながら、自力でやさしさを見出してそれを享受できるような気構えを有していなければならない。

なかなかに骨の折れることである。

絶望の中に希望の種がある、と信じていくしか手立てはない。

  

「善意」からの正しい行いほど厄介なものはないという件

世の中のほとんどの物事は「善意」から生まれている。

犯罪行為や故意に人を陥れるようなこともあるが、これはレアなものである。

僕たちは大抵は善意から発した言動については批判を許されないことになる。実はこのことが厄介なのである。

 

ある言動が善意から生じ、しかもそれが「正しい」ことならばそれを受けた人は口を閉ざさるを得なくなる。あるいは時として起こる「善意の押し付け」に対しても、それが善意から発したものであるがゆえに、抵抗し押し返すことが困難になる。

 

僕が最初の勤め先を辞めようとしているときに、周囲の人たちは善意からそれを押しとどめようとした。あるいは僕が独立しようとするときも同様に善意からそれを阻止しようと試みた。

そのときの周囲の人たちの「善意」に裏があったとは思わない。本当に善意から僕に忠告したのだろう。

僕は元来がひねくれ者なので、それらの善意の思いを受け流して、自分の好きなようにしたが、根が正直で真面目な人ならば、その善意に応えようとするかもしれない。

 

「動機が善ならば、結果は問わない」。

これはこの国での古来から続くメンタリティである。

典型例として、戦前の軍部の行いがある。

動機が善であれば(これも独善的なものであるが)、指揮命令系統を無視しても、あるいは時として天皇大権を犯してもかまわない憲法違反を犯してもかまわない、というメンタリティ。

昨今は企業犯罪の多くにこのメンタリティが潜んでいる。

 

僕は以前にこのブログで困った人が目の前にいたら「おせっかい」をしようと書いたことがある。困った人を目の前にして、自分のできる範囲のことで手助けをする共助も大切だと言いたかったのだ。この考えは今も変わらない。

ただ、「おせっかい」というものはほとんどが善意から生じるものだ。誰かにおせっかいをするときには、それが善意の押し付けになってはいけない。このことに十分留意する必要がある。

おせっかいをすることが自己満足になってはいけない。

さりげなくおせっかいをかけて、そして風のように去っていく。そうでないと、おせっかいの意味がない。

 

そして、時に「善意」と思っているものが、実は自分のエゴから生じている場合があることも忘れてはならない。

相手を自分の思うがままにコントロールしたいとか、あるいは自分の言動によって自己利益の獲得を図るとか、そういったことも多々あることを心しておく必要がある。

それと、善意によってなされた言動によって引き起こされた結果の責任回避の言い訳にしてもいけないと思う。

 

人の善意とは厄介な代物で、取り扱いに注意を要する。

無警戒に人の善意に頼ることは無防備で危険地帯に潜入するようなものである。

安易な善意からのおせっかいは暴力に変わることもある。

何とも世知辛い世の中である。

しかし、僕たちはその世知辛い世の中を渡っていかなければならない。

とはいっても、究極のところでは僕は人の善意を信じたい。

 

僕が最初の勤め先を辞めようと思った瞬間のことを書いてみる、という件

何度もこのブログに書いているが、僕は大学を卒業してある政令指定都市の公務員となった。平成になったばかりの頃のことである。

僕は高い志を持って公務員になったわけではない。

民間企業に入って会社の利益を上げるためだけに働くのもどうかなぁといった思いを持っていたし、さりとて大学院に進んで研究者の道を進む覚悟も持てない。そういった中で消極的に公務員にでもなるかと思い、採用試験を受けたのである。

 

なんだかんだで運よく採用試験に受かり、僕は公務員として働きだしたわけである。

多少の期待はあったのも事実である。働き始めたら仕事を楽しく思えるのではないか、自分の人生をかけてもいいと思える何かに出会えるのではないか、と。

しかし、いざ働き始めても、ただつまらないと思う日々が続いた。

すぐに辞めたくなった。

ただ、辞めるにしても、次に何をすればよいのか皆目分からない。

僕は退職を先延ばしすることにした。

今の職場から異動すれば、次の職場では仕事の面白みを見つけることができるかもしれない、という淡い期待を抱いて。

入職して4年目に異動があり、僕は意に反した、最も行きたくないと思っていた職場に移った。

 

当時のその市役所の人事労務管理は「希望した部署には行かさない」といったものだった。僕だけではない。同僚や同期生もほぼ皆、希望した部署には異動できていなかった。

僕の気持ちは日を追うにつれて、辞める方に傾いていった。

 

ある日、仕事がひと段落ついたので喫煙所でタバコを吸っていた。その時、窓の外から夕暮れの日の光が差し込んできた。それをぼんやりと見ていて、僕は「もう辞めよう」と決心した。理由は今もって分からない。その時、はっきりと辞めてしまおう、もう無理だ、との思いが僕の心に充満したのだ。

僕はその日に帰宅してからすぐに退職願を書き、翌日上司にそれを提出した。

不安はあったが、不安よりも今の状況から抜け出したいという思いの方が強かったのである。

 

僕は今もあの時の夕暮れの日の光の色合いや空気感を鮮明に覚えている。

人が何事かを決心するときなんてこんなもんである。

ちょっとしたきっかけで心が大きく動く。

僕たちはこういったものの積み重ねの人生を送っている。

 

 僕は公務員を辞めてから後、もし辞めていなかったらどうなっていたかと考えたことはない。

そんな人生は考えられないからである。

フラフラとして、腰を落ち着けない生き方が僕には似合っている。

本当にそう思う。

経済的な安定と引き換えに僕は多くのものを得たと思っている。

半分は強がりであり、半分は本音である。

 

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