希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/運気アップ/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケーシー/生きづらさ

無理して「我慢」なんてすることはないという件

僕たちは幼少時から我慢することを我慢の大切さを教え込まれる。

我慢ができない子どもは忍耐力に欠ける子として問題児扱いされる。我慢ができずに自己主張する子どもは協調性に欠ける子としてこれもまた問題児とされてしまう。

学校教育では教師の言うことを何の疑いもなく聞き入れる子ども、我慢をして素直な子どもが良い子どもとされて、そのような子どもたちを量産しようとする。国家や会社に従順な労働者を大量生産するかのごとく。

 

働くようになるとなおさら我慢が強調される。

特に会社や役所等の組織に勤めると我慢合戦を強いられる。

バカな上司の指示に従うこと、意に反した転勤や単身赴任を受け入れること、長時間労働サービス残業、接待、長時間の無駄な会議等々数え上げればキリがないほどの「我慢」をしなければならない。

我慢をすることが当然とされ、我慢ができない人は出世ができないし、酷い場合にはその職場にいられなくなったりする。

 

経営者あるいはもっと大きくとらえて国家は我慢は美徳だというイデオロギーを垂れ流す。

我慢ができる人たち、我慢を我慢とも思わない人たちを「良民」とし、我慢ができない人たちを劣った人だとのレッテルを貼り排除する。

 

僕は当然ながら我慢ができない人のカテゴリーに属する人間である。我慢ができなくて公務員を辞めたし、もう必要以上の我慢なんてしたくないから勤め人になることを拒んでいる。

こんな僕でもある程度の我慢は当然だと思っている。僕はどちらかと言うと我慢強い方の人間である。忍耐力は人並み以上にある。

要は自分が納得できる範囲の我慢はするが、自分の価値観に反する我慢、人としての尊厳を奪うような我慢はしたくないだけだ。

 

これらのような主張をすると「社会人として失格」だの「子どものままで大人になっていない」といった説教を喰らう。世の「大人」たちは何でも我慢ありきで物事を考え、その考えを他者に押し付ける。この狭量さが嫌いなのである。

世の多くの人たちは我慢することによって自己保身を図っているだけに過ぎない。空気を読んで我慢してその場を取り繕っているだけなのだ。そして、その我慢合戦の積み重ねが様々な問題の解決を先送りにし、結果としてこの閉塞した今の状況を生み出したといっても過言ではない。

 

自分さえ我慢すれば波風が立たずにうまくいく、といったメンタリティは危うい。目の前にある問題に対峙せず、我慢してやり過ごすことばかりをしていれば結局はドツボに嵌ることになる。

世の中の進歩や発展は我慢をせずに自己主張を始めた人たちがその原動力になっているのである。

 

「我慢」が美徳という価値観に僕はこれからもずっと抗い続けていく。 

「シフトダウン」した働き方で新たな生き方が見えてくるという件〈再掲〉

僕たちは自分の生活を成り立たせるために働いている。

衣食住に必要な程度の稼ぎとプラスして自分の趣味に使えるほどの稼ぎがあれば十分なはずである。必要以上の消費欲に囚われているのではないか。刷り込まれた欲望を満たすための消費のために死ぬほど働く、なんて狂っている。

 

初出 2016/10/20

 

僕は何度もこのブログで雇われて働くことが苦痛だと言ってきた。

ならばとフリーランスで稼ぐために何らかのナリワイを持とうと試行錯誤を繰り返している。残念ながら未だに生活費をすべて賄えるほどのナリワイを確立できていない。

自分のナリワイを見つける試みは続けるけれども、先立つものは必要だ。だから、次善の策として嫌ではない仕事をパートタイムでする、ということでしのいでいる。くだらない仕事なんかで消耗しない働き方を選んでいる。

僕のような中年男には正社員で働く道は半ば閉ざされている。仮にあったとしても僕がやりたくない仕事ばかりだ。何より正社員という働き方に僕は全く魅力を感じていない。会社の奴隷になって馬車馬のように働くなんて御免被りたい。

 

僕は40代の初めころまでは人並みに上昇志向があり、成長志向があった。世間で言うところの真っ当な生き方・働き方にこだわっていた。また自分は真っ当な生き方をしてしかるべき人間だと思い込んでいた。決してダメ人間ではない、有能な人間だと勘違いをしていたのだ。

自分のことをダメな奴だと受け入れるのはなかなか難しい。しょうもないプライドが邪魔をする。世間の目も気になる。やはり人からはできる人間だと認識されたい欲がある。

 

僕は社労士事務所を廃業してからしばらくは正社員としての職を探し、何社か正社員として勤めた。しかしどこで働いても違和感にとらわれ、息苦しさを感じ長続きしなかった。

そこで発想の転換を図ることにした。必要とする生活費を切り下げて稼がなければならない額を低く設定することにしたのだ。そして働く時間を短くして負担を減らし、自由な時間を確保して「ゆるい」生き方を志向することにした。「シフトダウン」した働き方、生き方を目指すことにしたのだ。

 

シフトダウンしてから3、4年経つけれども、これが結構僕に合っていてなかなかに快適な日々を過ごしている。長年悩まされていたうつがほぼ全快した。読書量が飛躍的に増えた。このブログも続けることができている。

生活費を稼ぐための仕事にもそれほどこだわりがなくなった。福祉の仕事と単純作業の仕事を交代にしているけれども、職場に愛着もないしこだわりもないので飽きたらあるいは嫌になったら即職場を変える。複数のところから収入を得るように心がけているので、嫌な仕事や自分に合わない仕事を無理してすることもない。

今は友人の塾で講師(これは辞めない仕事)、児童養護施設の子供への学習支援(これは不定期・ボランティア的なもの)、ナリワイ的な仕事をメインにして、空いた時間に気が向いたらパートで介護福祉系の仕事をするか倉庫のピッキング等の単純作業に就いている。

 

今の僕の働き方はとても真っ当なものではない。収入額もたかがしれている。

しかし、僕はシフトダウンした「第二の人生」を楽しんでいる。

ゆるい生き方・働き方ではあるけれども、僕は成長を実感している。

自由な時間が増えたおかげでこの社会に起きている様々な問題について深く考えることができるようになった。今はできていないが、何らかの形で社会活動にコミットしたいと思っている。もっともっと良書と巡り合い、僕の血肉としたい。

僕はシフトダウンすることによって得られた新しい人生を満喫していきたい。

 

 

自立とは誰かに「助けて」と言えることであるという件

僕たちは常に他者から世間から「自立」することを強いられる。

一般的には生活費を自分で稼ぎ、誰からも援助を受けずに自力のみで生活を成り立たせている状況にあることを自立とみなされる。

世間では自立できていないと目される人たちを「ごくつぶし」だの「甘えている」だのと言い立てて責めたてる。

この国の支配層は人々に対して自立せよと急き立てる。一見自立していないように見える人たちを非国民扱いする。

 

人は自分ひとりの力のみで生きていけるわけではない。

常に誰かと関わり合い支え合いながらどうにかやっていけるのである。もし、己ひとりの力で生きていると思っている人がいたとすれば、その人は愚かだとしか言いようがない。

 

昨今の風潮として、「自立」の意味をかなり狭く捉えようとする傾向がある。ある人が自分の力だけでは生活を成り立たせることができないとき、親族からの援助を受けていたり公的な給付を受けていたりすると、即自立できていないと断罪されることになる。

一方、会社の奴隷となっているサラリーマンは自立していることになっている。サラリーマン根性に浸かり、会社組織に隷属するしかない人たちは自律的に生きていないにもかかわらず立派に「自立」しているとみなされる。

「自立」を経済的なものだけに狭くとらえる風潮が幅を利かせているのである。

 

自立を経済的なものだけに限定するとおかしなことになってくる。

障がい者高齢者、生活困窮者等は半人前の人となってしまう。また国家や隣人に寄生する厄介者とみなすようにさえなる。

元々人は共同体に属し、そこに自分の「居場所」を確保し、共同体の一員として自分の役割を果たし、何か困ることがあったときは共同体から救いの手を差し伸べられ、どうにかこうにか一人前の人間として生きてこられたのである。

しかし、新自由主義的な価値観の下、ひとりひとりは共同体から引きはがされて個人として自立して生きることを強いられるようになった。

俗な言い方をすれば、「お互いさま」として支え合うような生き方は否定され、自分の力のみでどうにかするのが正しい生き方であると刷り込まれ、多くの人たちは途方に暮れているのである。

 

今、ひとりひとりが個として自立することが絶対的に正しいという価値観を見直す時に来ているような気がしてならない。

本当の自立とは、自律的に生きつつも、困ったとき行き詰ったときに誰かに「助けて欲しい」と素直に言えることではないか、と僕は思う。そしてもし身近の誰かが困っているときにはこちらが手助けをする。「お互いさま」の精神でさらっと助け合うのである。

誰かの手を借りることを恥じたり、そのことが自立の妨げとなると感じるのはただ単に洗脳されているだけなのである。

狭い意味(誤った意味)での自立を強いることによって得をする者たちの意のままになってはならない。

 

 

 

内申書は長時間労働やサービス残業等の労働環境劣化の源である件

僕は公立中学校に通っていて府立高校に進学したのだけれども、そのときに内申点の比重が大きかったことを覚えている。僕とそんなに成績が変わらないのに、内申が悪くて1ランク下の高校に進んだ友人がいた。 

昨今の内申書は授業態度や意欲を殊更重視する傾向がある、ということを何度も見聞きしている。授業中に手を挙げる回数とか、提出物や宿題をきちんとしているとか、授業を聞く態度とかを細かく点数化しているということだ。

 

僕が学生時代にはそんな意欲や授業態度はそんなに問われなかったように思う。定期テストの点数で自動的に内申点が決まっていたとの記憶がある。僕は決して授業態度は良くなかったし、意欲なんか微塵も見せなかった。ガリ弁は格好悪い、教師に気に入られるなんて恥だという美意識があったのだ。その割には僕の内申点は高かった。

確かにテストの点数だけで評価するのは公正なものではないという論にも頷ける点がある。やる気や意欲、コツコツと取り組む姿勢や真面目さを評価すべきなのかもしれない。いや、それらを重視すべきという考え方は正論である。

 

僕はこの「正論」が社会に及ぼす悪影響が結構あるのではないかと思っている。

会社での人事考課は内申書と似通った点が多い。テストの点数だけで評価しないというところは仕事における成果や実績だけを評価しないという点で類似している。かつての会社での人事考課ではやる気や意欲、勤務態度等の情意面を評価しその比重が大きかった。今は人事考課に成果主義や業績主義が採り入れられているが、情意面の評価がすべてなくなったわけではない。相変わらず情意面の評価を重視している会社も多い。

 

中学校の内申書では授業態度や意欲に加えて生徒会活動やクラブ活動の実績も評価の対象となる。つまりはいかに学校の活動にコミットしているかが評価されるのである。地域活動やボランティア等も評価するらしいが決して主たるものではない。

要するに教師や学校にとって従順で扱いやすい生徒が内申書で高得点を得る仕組みになっている。たとえテストで高得点を取っていても反抗的であったり態度が好ましくない生徒は高い評価を与えない。

当然と言えば当然である。

学校制度、特に義務教育制度は国家や会社に従順な「人民」「良民」を大量生産するためのものであるからだ。どんなスローガン(例えば「自ら学ぶ力」や「自ら育む力」の類)を掲げようとも本質的には変わらない。

 

一方、会社においての人事考課の本質も内申書と同質のものである。

長時間労働サービス残業が蔓延する理由のひとつに人事考課で情意面を評価することにある。多くの職務は他のそれと差別化できない。その差別化できない仕事をしている労働者は差別化するために長時間働いて会社にコミットしていることをアピールするという挙に出る。本来ならば自分の業績や成果をアピールすればよいだけれども、元々個人単位ではなくグループ単位で仕事をしているというこの国の会社での仕事のやり方ではどうしても「頑張り」や「意欲」あるいは「協調性」をアピールすることになってしまう。

 

大阪府では公立高校の入試改革があり、一部の高校で合否判定に内申書の比重をかなり下げて入試での成績を重視することになった。僕の個人的な意見だがこの改革は良いことだと思う。内申書なんて付け足し程度のものでよい、と僕は思っている。

現行の内申書の評価方式に囚われすぎると、生徒の「自律性」や「抵抗するメンタリティ」を奪ってしまいかねないからである。

また、将来において会社の論理に容易にからめとられてしまうメンタリティが根付いてしまう可能性もある。

教育の目的は断じてサラリーマン根性に毒された労働者を大量に生み出すことではない。

 

賛否両論はあるけれども、僕は情意面を殊更に評価するような内申書なんて害ばかりが大きいと思っている。

内申書に内在するものが果ては会社や役所での人事考課につながり、労働のあり方や雇用環境をいびつなものにしているのである。

母とあるいはその世代との価値観の違いを痛感しているという件

僕の母は太平洋戦争中に瀬戸内の離島で生まれた。母の両親、つまり僕の母方の祖父母は祖父が神主をしながらみかん栽培をし、祖母は主にみかん栽培をする兼業農家であった。

 

母と僕とに世代間ギャップがあるのは当たり前の話である。戦中派と新人類世代(バブル世代)では価値観が異なるのは当然である。

なぜわざわざこのテーマを選んだのか。

それは働くこと、雇用についての団塊世代より上の世代の一般的な考え方を知る上でなかなか面白い点が見出せると思ったからである。

 

母は中学校を卒業後に島から出て地方都市にある地場の証券会社に正社員の事務員として就職した。当時(昭和30年代)は高校に行かずに就職することは珍しくなかったという。

今は大卒でも事務系の正社員の仕事に就くことは難しいことを鑑みれば、当時はまだまだのどかな時代だったのだろう。

 

母は父と結婚して専業主婦となった。

同年代の人たちと比べてもごく普通のライフヒストリーである。

何が言いたいのかというと、母は同世代の人たちと比べても突飛な価値観をもってはいないということだ。

 

さて、こんな母だから僕には安定した仕事に就いてほしいと願っていた。僕が公務員試験に合格したときはとても喜んでいたし、僕が公務員を辞めたと知ったときは(事後報告だった)かなり落胆していた。落胆したどころか、僕が公務員を辞めたことを結構長い間親戚には言わなかった。世間体が悪いと感じていたのだ。

 

僕は公務員を辞めた後に専門学校の講師、社会保険労務士を自営したが、これらは世間体が悪いと感じなかったのか何も言われなかった。ただ「安定」はしていなかったことが気がかりだったようだった。

そして僕が社労士事務所を廃業した後に実家に身を寄せたときには諦めていたのか、もう何も言わなくなり、今は自分の食い扶持を稼ぎ、家に幾許かのカネを入れればどんな仕事をしてもO.Kとなっている。

僕は不肖の息子であることをいつも母に心の中で詫びている。

 

母はニートやフリーターが理解できないでいる。本人のやる気のなさが主な原因であると思い込んでいる。社会システムの矛盾によって働けない人たちがいることが今ひとつピンとこないらしい。

母やあるいは父が現役だった頃は意欲さえあれば正社員として働く口が沢山あったから、正社員として働かない、あるいは働けない若者たちのことを理解できないのだ。さすがに中高年の再就職は厳しいことは理解しているようで、そのおかげで僕は母から責められないでいる。

 

それと母は「ブラック企業」と呼ばれる会社についても理解に苦しむらしいのだ。母は会社は社員のことを思っていてくれているものと未だに信じている節がある。会社は信じるに足るもので、非道なことはしないものと信じているのだ。僕がいくらひどい会社の話をしても、それは特殊な事例であって、会社は善なる存在だと信じている。だから、会社のためには自分の身を犠牲にするのは当然だと考えているのだ。僕がある介護施設でサービス残業をさせられたときに会社にクレームをつけようかとの話をしたら、母は猛烈に反対したことがあった。会社に文句をつけるなんて考えられない、残業代なんて普通は出ないよ、と言って。

 

おそらく母の考え方、価値観が母と同世代の人たちの一般的な価値観である。

会社は善であり、ブラック企業やそれに類する会社なんてレアである。

会社には長期間、できれば定年まで正社員として「勤め上げる」ものだ。

フリーターやニートは本人の「甘え」だ、等々。

 

雇用や労働に関する言説で僕の世代や僕より下の世代と団塊世代・戦中世代との間にかなりのギャップが存在することを、僕は母というフィルターを通して実感している。

母と同世代の人たちはまだまだ社会に影響力を持っている。若年・壮年世代とのギャップはそうそう埋まらない。

今後もしばらくは会社に対する幻想や正社員幻想は存在し続ける。 

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