働く者ひとりひとりの力は弱い。
会社から不当なあるいは違法な扱いを受けても泣き寝入りしている人たちが大半である。
たとえ異議申し立てをしても、個人が組織と戦い続けることは困難を極める。
だからこそ、労働者は労働組合を組織して会社・経営者に立ち向かうことになる。労働組合は労働組合法によってその地位を保障されている。任意に組織化できるのも大きいメリットだ。労働組合を結成するのに役所の許認可は必要ない。二人以上の労働者が集まって労働組合を結成したと宣言すればよいだけの話である。
正社員を中心として組織化された既存の労組はもはや力を失い、その存在意義も危ぶまれている。労組の組織率は20%を切っているし、経営側に労働者の権利擁護を強く要求する労組も皆無となった。労働者の利益代表という当事者能力を失いかけているとさえいえる。しかも、非正規雇用の人たちを排除している組合もある。
働く人たちの切なる願い、労働条件や職場環境を良くすることは、やはり労働自身の手によって勝ち取らなければならない。国家の政策に全面的に委ねてはならない。政府に頼りきりではいけない。「権利」の重みが違うのだ。
労働運動が退潮している現況において、コミュニティ・ユニオンの役割がクローズアップされる。コミュニティ・ユニオン(地域ユニオン)や合同労組は個人で加入できる労働組合である。パートや派遣社員といった非正規雇用の人たちも加入できる。有名なユニオンとしては東京管理職ユニオン・首都圏青年ユニオン・フリーター全般労組・プレカリアートユニオン等がある。
これらのユニオンは不当解雇やサービス残業代の請求、非正規雇用の待遇改善などの活動を行っている。労働法を守らない会社に対して、法律を守れ、労働者の権利を守れと闘い続けている。個人で要求しても会社は無視するが、ユニオンに加入すれば会社は団体交渉を拒否できない(団体交渉応諾義務が課せられている)ので、交渉のテーブルに着かせることができるのである。団体交渉が不調に終われば、ビラまきや時には争議などの闘争を行う。
また多くのコミュティ・ユニオンでは労働問題だけではなく、貧困問題にも取り組んでいる。生活保護の申請に同行しているユニオンもある。
生存のための運動、生活を守るための闘争という労働組合運動の原点回帰をしている。「生きるため」の運動という側面が強い。
また、ユニオンは労働者の「居場所」づくりも目指している。孤立しがちな労働者(特に非正規雇用の人たち)の居場所としての役割を果たすことによって、労働者自身の存在意義を確認し、また精神的な安定をもたらそうとしている。
コミュティ・ユニオンの存在意義は、弱者であっても連帯して声を上げ続けることによって、少しでも労働環境が変わること、社会が変化することの突破口になり得るという点にある。事実少なくない数の成果がもたらされている(キャノンやグッドウィル・フルキャストの例など)。
虐げられた人たちの数少ない味方であるコミュティ・ユニオンに僕は期待を寄せている。
僕も以前に不当解雇されてコミュティ・ユニオンに加入して闘った経験がある。今の職場はユニオン・ショップ協定(その会社の組合員でなければ雇用されないルール)があるので仕方なく職場の組合に加入したが、できればコミュニティ・ユニオンに加入したかったのだ。
個々のコミュティ・ユニオンの力はまだまだ小さい。その財政基盤も弱いユニオンが多い。
しかし、その存在意義は大いにある。
昨今の劣悪な労働環境を改善し、会社側の横暴にブレーキをかけるためには、政府の規制を待っているだけでは駄目だと思う。
コミュティ・ユニオンの「個別突破」の積み重ねを糸口にして、働く人たちの権利や尊厳が守られなければならない、と僕は思う。