希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

マイノリティだとしても、生きやすい世の中になればと切に願っているという件

僕はいつの間にやらマイノリティの側に属する人間となったようだ。

自らが望んでそうなったわけではない。信念や信条があるわけでもない。

色々な経験を積み重ねていくうちに、自分の身の置き所を探し求めていくうちにそうなってしまったのだ。

 

まず僕は会社に雇われてフルタイムで働くということがたまらなく苦痛である。もうできそうにもない。働き盛りと言われる年齢になって、この態度はもう終わっているとみなされる。

そう、ある意味で僕は「もう終わった人間」なのである。

馬車馬のように働くことができない。労働によって自己実現や成長を図ろうなんて露ほどにも思っていない。

もう、真っ当な社会人だと周囲から見られなくても良い、と開き直っている。

 

僕が今試みていることは、「右肩下がり」の社会においての自分に合った有効な生存戦略を見出そうとしていることである。

こんなダメ人間である僕にも勤労意欲はある。しかし、従来型の働き方には強い違和感を抱いている。

経済成長に資するだけのような働き方は御免蒙りたい。

自分の食い扶持分だけは何らかの方法で稼ぎ出し、自由になる時間をできるだけ確保していきたい。できうるならば、自己利益の極大化のみに心を注ぐのではなく、自分が属する共同体の発展のために心を注ぎ込みたい。仲間と呼べる人たちのために働きたい。連帯感が感じられるような場に身を置きたい。

 

今、若者を中心として従来型の働き方や生き方に異を唱え、自分たちのコミュニティを形成し、新しい生き方・働き方を模索する動きがあちらこちらで始まっている。

この動きは良いことだと思う。僕もその流れに乗っていきたい。随分と歳を喰ったオッサンだけれども、精神年齢は実年齢よりは若いと自負している。

僕の有する価値観とちょっとだけでも重なり合う人たちと繋がっていきたい。

 

僕は自分がマイノリティの側にいる人間であることを悲観していない。たとえ、少々生きづらい面があってもそれを甘受する覚悟がある。まあ、生きやすい方がいいけれども。世間を敵には回したくないというのが、本心である。

様々なマイノリティをバッシングする一群の人たちはいるけれども、世の多くの人たちはマイノリティの人たちを包摂してくれるくらいの度量はあると信じたい。

 

マイノリティの側にいる人たちは、マジョリティの側にいる人たちから見れば異端者であるのは確かではあるけれども、同じ人間であるし、俯瞰的に見れば大同小異である。

ちっぽけな違いを言挙げするエネルギーがあれば、その力を互いに共生できる方向に振り向けるようになってほしい。

マイノリティとして生きていくのに、骨が折れないような社会になれば、と強く望むばかりである。