希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕は「自分を大きく見せない」ようにしているという件

僕は殊更に自分を大きく見せようとする人が苦手であり信用できない。

社労士事務所を営んでいるときに、僕は自分を大きく見せようとしている人たちにちょくちょく出会った。会社でこんな凄いプロジェクトを任されているとか、俺はこんな凄い人と知り合いだとかの自慢話を幾度となく聞かされた。

そんな時、僕は何だかなぁという感じでやり過ごすのが常だった。

 

自分を大きく見せようとする人たちの気持ちは分からないでもない。コンプレックスの裏返しでもあり、自信のなさをカバーするための虚勢でもあり、単なる自己顕示欲でもあり、というように要は自分の弱さを覆い隠そうとする営為なのである。

自分を大きく見せることによって、自分にプレッシャーをかけてより成長するための糧にするのならば罪はない。

 

僕は幼少の頃から自分を大きく見せることができなかった。そのような行為は何となく気恥ずかしかったからである。別に謙虚だったとか自制心が強かったからではない。

これはただ単に僕の性格・気質の問題である。

自分を大きく見せることによって、相手から大きな期待を受けることにプレッシャーを感じてしまうから、そのような言動を慎んでいたというのが正しい。

 

僕はダメ人間である。

ダメ人間は自分を大きく見せるような真似はしないものだ。

周囲の人たちからの低評価を甘んじて受け入れて、それを楽しんでいる。

ちょっとだけ悲しいものはあるけれども、そうすることによって生きやすくなっている。

自分を大きく見せて、それをずっと続けている人たちを見るとしんどいだろうなぁと同情してしまう。

 

自分を大きく見せようと躍起になっている人たちとは付き合いづらいし正直関わりあいたくない。しかし、そのような人たちを全否定をしたくもない。自分を大きく見せずにはいられない心情を誰もが持っている。それは人が持つ業のようなものだから。

 

僕はといえば、これからもずっと「自分を大きく見せない」ようにして周囲の人たちと接していくだろう。

繰り返しになるが、これは僕が謙虚だからではない。

単なる僕のエゴである。

自分を卑下することまではないけれども、僕なんて取るに足りない十把一絡げな奴だと相手に伝えることで、余分なプレッシャーから逃れるのである。

僕にとって、有効な生存戦略なのである。