希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「武勇伝」を語りたがるオッサンは無視するに限るという件

あまり自覚はないけれども、僕はオッサンである。ただ、自覚がないのは精神面であって、肉体的にはもうボロボロであって日々老いを感じている。

こんな僕みたいなオッサンでも自分なりの矜持のようなものがある。それは年少者には敬意を持つ、されども媚びないということだ。

それと自分の(ささやかなものだけれども)成功譚を語らないということ。こんないやらしい行為はない。ただ、失敗談はできれば語っていきたい。

 

僕は「武勇伝」を嬉々として語るオッサンが大嫌いである。自慢話をして悦に入る精神構造、個人的な成功談を一般化する精神構造が理解できないのだ。

特にサラリーマン(それも中間管理職の)の武勇伝ほど見苦しいものはない。しょーもない自慢話を聞かされる後輩や部下はたまったものではない。これも立派なパワハラである。

 

僕のサラリーマン時代にも上司や先輩から時折しょーもない武勇伝を聞かされた。それらの人たちに共通しているのは出世はしていないということだった。

社労士業をしているときにも様々な会合で多くの経営者に出会ったが、時々武勇伝を語るオッサンに遭遇した。それらの人たちもやはり事業に大成功したというケースは稀である。

僕の個人的な体験を基にすると、どうやら武勇伝を語りたがる輩に「本当にできる人」「本当の成功に至る人」はいないということである。中途半端に、たまたま成功したような手合いに武勇伝を語りたがるオッサンが多いのだと推測できる。

 

僕は自分がオッサンであるだけに、過去の成功を自慢したいという気持ちが理解はできる。オッサンになると先は見えてくる。若いころのようにキラキラとした未来を信じることはできなくなっている。若い人たちから疎んじられたりもする。

それに現状がパッとししていないと、今まで自分がしてきたことは無駄だったんじゃないかと疑心暗鬼に陥る。

武勇伝を語りたがるのは、憂さ晴らしであり、アイデンティティの確認であり、自分はまだ終わっていないぞと自分への叱咤激励等の深層にある心の動きからである。

 

武勇伝を語りたがるオッサンを相手にしたときどのような対応をすればいいか。

このエントリーのタイトルにもしたように「無視する」ことである。

ここでいう無視とは、相手にしないとか、シカトするといった意味ではない。

たまには相槌を打ちながら、聞いたふりをしてやり過ごすことだ。武勇伝の内容にツッコミを入れてはならない。「そんな成功体験があるのに、なぜ出世していないの」とか「学生運動で暴れたのに、なぜ就職できたのか」とかいう野暮なことは聞いていはいけない。

オッサンのささやかな自尊心を壊さぬように共感したふりをしつつ全く共感しないということだ。

 

僕には人に誇れるような成功体験はない。でも、ちょっとした成功譚ならこんなダメ人間の僕にでもある。意識をしていないと(自慢話や成功談を人に話すことは恥ずべきこととという意識)、その成功譚を誰かに話してみたいという欲求に駆られてしまう。

失敗談を笑って話せるオッサンでありたい、と僕は常に思っている。