希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

全ての人々が豊かになり満ち足りてしまうと困る者がいるという件〈再掲〉

すべての人たちが物質的にも精神的にも満ち足りた社会が理想郷である、と誰もが思っているはずである。しかしながら、そんな世の中になれば困る人たち(儲からない、いい思いができない)がいることも確かである。

 

初出 2017/10/19

 

全ての人に必要なモノやサービスが行き渡り、貧困や戦争や飢饉がなくなった世界、それが僕が理想とする世界である。

おそらく多くの人たちも同じように考えるだろう。

人類はあるべき「理想の世界、理想の社会」を夢見て、その理想の社会を作り上げるための営為を続けていくものだ、と。

 

これから僕が書くことは僕の妄想に近いものである。

確かなエビデンスはない。しかし、全く的外れなものだとも言えないはずである。

 

貧困も戦争もない豊かな社会になることを忌避している者たちがこの世には存在している。

まず真っ先に思い浮かぶのが、軍需産業関連者である。

巨大な軍需企業ともなれば、国家のエスタブリッシュメントに連なっている。

武器を生産し紛争当事国に売りつけ、紛争が継続し続ける限り巨万な富を得ることができる。この世から戦争がなくなれば商売あがったりとなる。

 

理想の社会を忌避するのは軍需産業には限らない。軍需産業が平和を忌避し戦争を好むのは分かりやすい話である。

多くの会社、特にグローバル企業も実は理想の社会の到来を歓迎していない。

話は簡単だ。

世界中に必要なモノやサービスが行き渡り、人々の生活が豊かになってしまえば、そのサービスやモノが売れなくなってしまうからだ。生活必需品やそれに類する商品は売れ続けるが、耐久消費財なんかは一旦行き渡れば買い替え需要がメインとなり爆発的に売れなくなる。

会社が提供する商品が売れなくなれば、それらの会社の存続が危うくなる。

 

資本主義とは常に市場を求め、後進地からの収奪によって利益を極大化する運動を延々と繰り返すことによって成り立つ経済システムである。

地球上でモノが不足しているエリアを見つけてその地でモノを売りつけ、コストの低い生産地を求め、その地の資源を収奪することによって利益の極大化を図っているのである。地球上で消費地と生産地を求め続けているのである。

もしも、どの地でも商品やサービスが充足されている状況となれば(モノ不足の消費地と低コストの生産地を失えば)、資本主義体制は自壊するかもしれない。

 

今は地球上で「未開の地」がなくなりつつあり、企業活動にも限界が見えてきている状況にある。

一方で世界各地で紛争はあり続け、政情不安な国々も多く存在している。この事実は世界平和にとっては良きものではないが、グローバル企業にとっては都合の良いものである。

戦争はすべてのものを破壊する。戦争の後に残るのはインフラが破壊された社会、慢性的なモノ・サービス不足に陥った社会である。経済成長率が高い国とは内戦・国家間紛争等によって国土が破壊され、そこからの復興途上にある国なのである。

あえて極論を言えば、企業にとって紛争や内戦なんかは大きなビジネスチャンスとなるのである。戦争による破壊、貧困や格差があればあるほど企業は儲かるのである。

だからこそ、企業特にグローバル企業は国家と結託するのだ。

戦前、財閥と軍部が結託し、植民地獲得を熱望したのもこの理路による。

 

人類の夢ともいえる理想の社会ーすべての人が物心共に豊かとなり満ち足りた社会ーの実現を阻むのは資本主義の権化ともいうべき企業の私利私欲に走った活動なのである。

特に帰属すべき国籍を持たないグローバル企業は、国家の安定・平和や世界平和など眼中にはなく、ただ自社の拡大と富の蓄積のみ(あるいは株主の利益の極大化)にしか興味がない。

 

僕も当然に多くの会社の生産活動の恩恵を多々享受している。

この世から会社なんか亡くなれ、なんて露ほどにも思っていないし、資本主義体制の転覆なんかも望んではいない。

ただ、経済成長至上主義的な価値観、剥き出しの資本主義の論理に対して無批判に盲従することは、いつか身を滅ぼすことになりやしないかとの杞憂があるだけだ。

 

僕の妄想はただの妄想なのか、一面の真理を衝いているものなのか、僕には分からない。この世界のシステムは複雑多岐であり、僕の出来の良くない頭では理解できないことが山ほどある。直感に基づいた妄想をすることしかできない。

僕の直感はよく外れるけれども時々当たることがある。