一頃に比べてかなり落ち着いてきた感があるが、ブラック企業についての言説は根強く世の中に流布している。
ブラック企業のなしている所業は確かに許されるものではない。労働者を酷使し、使い捨てて、単なる雇用問題・人権問題には留まらず、この社会の衰退を招く大問題ではある。
ブラック企業が多いという業種はサービス関連のものが多い。ということは僕たちの生活に密着しているということだ。
ブラック企業が追求しているのは、人件費を極限まで抑え、労働者の労働条件を劣悪なものとし、それで浮いたコストをサービスや商品の価格を抑制することに使って、自社の競争力を高めて、会社の利益の極大化を図ることである。
ブラック企業で働く労働者にとっては過酷なものとはなるが、消費者の立場になってみると低価格で一定レベル以上の商品やサービスを手にすることができる。要するに消費者にとっては、ブラック企業はありがたい存在であるという側面がある。
消費者はまた労働者の顔を持つので、世の中にブラック企業ばかりが並び立つと困るのだけれども、一部にのみブラック企業が存在することが望ましいという状態になる。つまり、労働者としてはブラックではない会社に勤めて、消費者としては安くて品質の良いモノを買えれば別にブラック企業が存在しても構わないという心持になる。ここにブラック企業を巡る問題の根の深さがある。
消費者としての僕たちはわがままである。
できるだけ品質の良いモノを、レベルの高いサービスを低廉な価格で購入したいと思っている。
一流のレストラン並みのサービスをファミレスで求め、高級ブティック並みのサービスをファスト・ファッションの店でも求める。ファスト・フードの店でも店員の接客のレベルは高いものを求める。
僕個人の考えとしては、価格の安い店ではその商品やサービスの接客は最低限のレベルで事足りるし、高いホスピタリティを求めるのならそれなりの価格がする店に行けば良いと思っている。
サービスに見合った代金を払わずに、質の高いサービスを求めるのは虫が良すぎる話である。
また、ブラック企業は質はどうであれ、雇用の受け皿になっているのは事実である。特に正社員という身分にこだわるのならば、ブラック企業は大量の「正社員」を雇用している。
この雇用の受け皿としてある程度機能していること、前述の消費者の要望に応えている点にブラック企業の存在意義がある。
確かにブラック企業をこの世にのさばらせてはならない。まともに労働者を処遇している会社の業績を圧迫するし、何より労働者の雇用の劣悪化は重大な社会不安を引き起こす要因となる。
しかし、ブラック企業のみを糾弾しただけで事が足りるというわけではない。
消費者の過大すぎる要求を実現することにも限界があることを、僕たちは知らねばならない。
ブラック企業に限らず、この国の労働者の置かれた状況を抜本的に解決し、労働者の権利を守らなければならない。
これらの消費者の性向、労働者の権利擁護がなおざりにされている状況が改められないかぎり、ブラック企業は存在意義を見出し、ずっと存在し続ける。
ブラック企業は高度消費資本主義社会あるいは日本型資本主義社会が生んだ鬼っ子である。決して特殊なケースではない。