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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕は体育会的なノリや価値観が嫌いだという件

社会について考えてみる 教育問題について考えてみる

僕はスポーツ観戦が好きである。野球、アメフト、ラグビー、駅伝などが特にお気に入りである。

僕はあまり運動神経に恵まれていない。よって運動部・体育会に入らずに学生時代は文科系のクラブやサークルに所属していた。高校時代はフォークソング部(今は軽音楽部になっている)、大学時代は自主映画製作のサークルに入っていた。どちらとも、僕にとっては居心地のよい場であった。ちょっと斜めから世の中を見ている部員が多かったように記憶している。どちらも元々は学生運動が源流にあるクラブだったことも影響しているのだろう。そしてどちらとも上下関係が厳しくなくてゆるい感じの雰囲気であったことも僕にフイットしたのである。

 

こんな典型的な文科系人間である僕は昔から体育会的なノリや体育会出身の人たちが苦手であった。元々の価値観に大きな違いがありすぎたのだ。

厳しい上下関係、精神主義集団主義等々が僕は嫌いなのである。

当然に僕の友人は文科系的な人物が多い。体育会に所属している友人もいたが、彼ら彼女らは個人種目のスポーツをしていた。運動系でもサークル(体育会ではない)で活動している友人もいた。根っからの体育会系(特に集団のスポーツ)の友人は皆無だった。

 

会社にも色々あって、文化部的なところ、サークル的なところ、体育会的なところ、と社風が千差万別である。僕は幸いなことに体育会的色彩の強い会社で働いたことがない。まあ、仮にそんな体育会的な会社に勤めたら、3日で辞めていただろう。

会社への強い忠誠心を求める、無茶なノルマを課せられても気合で乗り切れと強いられる、個人よりも集団の力学が優先される、上司には絶対服従する等々、書いているだけでも身の毛がよだつ。

元々会社組織は軍隊を範にとられたものが多い。軍隊組織と体育会的規範は親和性が高い。会社組織を運営するにしても発展させるにしても、体育会的な規範でなすことに合理的なものがあることは否定できない。ある集団がひとつにまとまるためには有効な手段のひとつである。

 

あくまで僕の独断と偏見に基づいた個人的な意見なんだけれども、体育会的な社風の会社はブラック企業化しやすいのではないかと思っている。

個人をないがしろにして組織の論理を優先した会社はどうしても労働者を使い捨てにしても良いという風土が醸成される。

元々「賃労働」自体が労働者を疎外する性質を有しているのに、体育会的な規範が加わると加速度的にそれが促される危険性がある。

 

僕は自分が持つ文科系サークル的な価値観を大切にしたいと思っている。体育会的な人たちからは「甘い」とか「軟弱」とか非難されるだろうが、個人の尊厳をないがしろにした「強さ」など無用の長物である。その「強さ」が社会的弱者を貶め、少数派の人たちを排除するのである。

僕は「ゆるさ」や「繊細さ」、「共に生きる」といった「弱さ」を基にした価値観を後生大事に抱えたまま生きていく。