希望の舎―再生編ー

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体育会系マネジメントなんてもういいかげん辞めたら、という件

僕はスポーツ観戦が大好きである。野球、ラグビー、アメフト、駅伝等々そのシーズンが到来するのを楽しみにしている。

しかし、体育会系的なノリは苦手である、というか嫌悪感を覚えるときがある。

 

この国の会社組織では体育会的なエートスを持ったところが多い。

経営者や上司の命令に完全に服従する、協調性を殊更に重んじる、やたらと先輩後輩の関係性にうるさいなどなどである。それと根性論や精神論が蔓延し、数多の不条理が存在する。

組織のマネジメントの方法として体育会系的エートスを注入すること自体はありだとは思う。この手のマネジメントが時として組織を発展させることが往々にしてある。また、体育会的なノリを好む人たちが多数存在することも事実である。

 

僕がスポーツそのものが好きなのにもかかわらず、学生時代に運動部や体育会に所属しなかったのは(短期間所属したことはあるが)根本的に体育会的なノリが嫌いだったからである。

 

長じて、会社に雇われて働くことがたまらなく嫌になったのはこの体育会的ノリを嫌悪するメンタリティを持っていたことが関係していると思う。

なぜちょっとだけ先に生まれた奴を先輩として敬わなければならないのか。ただの会社の役職に過ぎないだけなのに、上司にプライベートまで干渉されなければならないのか。先輩や上司ということだけで自分より特段優れているとは思えない奴らに従うことがたまらなく嫌だったのである。

それと仕事を遂行するうえでの合理的な創意工夫がイマイチ評価されず、やれやる気を出せだの、遅くまで残って仕事をしろだのといった不毛な精神論が跋扈しているのも大嫌いだった。

 

体育会系のマネジメントには長所と短所がある。

経済成長期には体育会系マネジメントがかなり有効だっただろう。イケイケドンドンの時は強く統制された組織が強みを発揮する。目標が明確な時には個の尊重よりも、個を殺しても全体の利益に奉仕するメンタリティを持った人たちの集合体の方が結果を残せるのである。

しかし、今はそんな時代ではない。

個人を尊重し、ひとりひとりが柔軟な発想をし、創造性を発揮しなければ生き残れない時代となっている。

 

僕の個人的な意見なのだが、今後は少々「ゆるい」組織の方が発展し結果が出せるのではないかと思っている。体育会的なガチガチな組織は先細りになるのではないかと考えている。尤もこれは僕の趣味嗜好も入っているので、全くの独断なのだけれども。

 

団体スポーツにおいてもチームワークの前提として個の能力を高めることが当然にチーム力を高めることになるという風潮になっている。チームワークありきではなく、個々の力を発揮する土壌がなければそのチームはだめなのである。チームプレーはもちろん大事ではあるが、個人の創造性や能力を発揮できないと、そのチームは強くなれないのである。

 

年功制ややたらと多い中間管理職(オッサンの既得権)が、チームプレイという名のもとに個を抑圧することがデフォルトとなっている会社・組織に未来はない。

もう体育会的なマネジメントを辞めて、それをベースとしたシステムそのものをリストラした方がよい。

 

 

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