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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

サラリーマンから足を洗うと人事の話ほど下らないものはないと思えてくる件

僕はサラリーマン時代上司や同僚と飲みに行くことが苦痛でたまらなかった。元々酒に弱いということもあるが、飲みの席での話がつまらなかったということが大きな理由だ。学生時代との友人たちとの飲み会が好きだったのは、取るに足らない話題でも語らうことが面白かったからである。

 

サラリーマンの飲み会ではどうしても仕事の話が多くなる。政治経済の話や哲学や科学の話なんかすると場の空気が読めないバカだとみなされる。

サラリーマンの話題は殆どが仕事の愚痴、上司や同僚の悪口と人事の話である。生産的ではない後ろ向きの話題である。僕は特にこの手の話題が苦手で大嫌いだった。誰が課長になるとか、どこぞの部署に栄転・左遷されたとかは全く興味がなかった。人事なんて会社や役所の上層部と人事部が結託して好き放題していることに過ぎないと醒めた目で見ていた。

とはいえ、露骨にそんな態度を出してしまうと浮いてしまう。僕は組織人のたしなみとしてそんな人事の話や上司の悪口に適当に相槌を打っていた。

 

仮に人事に不満があったり上司がバカだと思っているのなら、直接人事の部署にかけ合うなり上司と話をするなりすればよいだけだ。業務外の飲み会の席で「自己主張」しても何にもならない。

とはいえ、サラリーマンの悲しい性、そんな自己主張は職場ではなかなかできない。変に我を出したら人事考課に響くのではないかとビビッてしまうし、下手をすると左遷されると慄いているサラリーマンが大多数である。会社に対して文句はあっても、その会社内では出世したい、待遇を良くしたいと考えるのがサラリーマンの常である。

飲み会の席で人事や上司に文句を垂れて、ガス抜きをしてそれでよしとするメンタリティはサラリーマン根性に侵された証なのである。

 

人事異動や昇進・昇格に一喜一憂するサラリーマンを揶揄し冷笑することができるのは、僕がサラリーマンの世界から足を洗って当事者でなくなったからだ。僕がサラリーマンをしているとき、やはり自分に関する人事異動は気になった。興味もない部署に異動することは当然にイヤだった。実際に僕は一番行きたくないと申告した部署に異動になった経験があるのだけれども、そのときはこんなクソみたいな組織(役所)は終わっていると憤慨した。そして程なく辞めてしまった。こんな奴は元からサラリーマンに向いていないのだ。

 

会社や役所等の組織の外から眺めてみると、人事の話なんて取るに足らないクソみたいなものだと思える。サラリーマンを続けるということは組織の持つ不条理を受け入れなくてはならない、ということである。自分のささやかな希望なんて、組織の論理の前では芥子粒のように吹き飛ばされるものだ。極言すれば、サラリーマンなんて自分で自分のことを決めることができない組織の奴隷みたいなものなのだ。

僕はこの社会の多数派であるサラリーマン社会からはじき出された少数派に属する自称ダメ人間である。こんな僕からすると、サラリーマン社会という限られた社会での出来事、コップの中の水のさざ波程度にしか感じられない人事の話なんてどうでもよいことである。

人事や仕事の話題で口角泡を飛ばしているサラリーマンの姿を見るとなんだか哀れみを感じてしまう。

「外の世界」も結構良いもんだと、「レールから外れた」生き方もなかなかに面白い、と独り言をぶつぶつ繰り出しつつ、僕は自己正当化をするのである。