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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

何でもかんでも少子化のせいにするなという件

少子高齢化の様々な弊害が指摘されている。

どういうわけか高齢化よりも少子化の方が大問題らしい。

まあ、確かにそうだろうと思う。高齢化を解決するためには長生きをやめさせるか高齢者を放置して早く死なせるしか手がないのだから。さすがにそんなことはできない。ナチスばりの全体主義国家なら話は別だが。

一方、少子化の解消のためにはこどもを沢山生めばよい。言うは易しである。

 

少子化がこのまま改善されることなく進行すれば大きな社会問題がいくつも起こると自称識者は言う。

曰く労働力人口が激減し経済成長が止まり国力が減退する。

曰く社会保障の財源を負担する者が減り、制度が瓦解する。

曰く地方では一層過疎化が進み地域コミュニティが崩壊する。

まだまだあるが、これでは暗い未来社会の姿しか見えない。

少子化が諸悪の根源だという言説がより一層幅を利かすことになる。

 

少子化自体はこの国特有の現象なのではない。先進国に共通の現象である。経済的に豊かになれば子どもを多く生むというインセンティブが失われるのだ。乳幼児の死亡率が高く子どもを労働力としている開発途上の国では出生率が高くなり、そうではない先進国では出生率が低くなるのは当然のことである。それに加えて子どもを生むという行為は女性の選択権がある、あるいは夫婦の選択権があるというコンセンサスが形成されればさらに少子化に拍車がかかることになる。

 

少子化そのものは悪いことではない。

経済発展、社会の発展の賜物だととらえれば、人類の「進歩」であると言えるからだ。少子化を前提とした社会システムを構築すれば、その社会の成員の幸福度がさらに上がる可能性がある。

人口増加を自明のものとした経済成長路線を見直せば良いし、定常社会を維持するだけでも十分に安心して暮らせる社会が成り立つ。

 

昨今のこの国の支配層や識者の多くは少子化を目の敵にして、相変わらず成長路線を志向している。もう崩れている既存の価値観を必死になって守ろうともがいているように思えてならない。

また、解決されない様々な社会問題を少子化のせいにして責任逃れに走っている。本気で少子化を止めようともせず、また少子化を前提とした社会システムに転換しようともしない。支配層の無策のツケを庶民に負わせようとしているのである。

少子化を解消する手段はシンプルである。要は女性が安心し子を生み育てることができる社会にすれば良いだけである。そのような社会であれば、大幅な人口増は無理でも現状維持ができる程度の出生率の向上は見込めるはずである。しかし、実際は社会インフラや諸制度を変えず、ただ女性に生めよ増やせよと強いているだけである。政治の無為無策を個人の責任に転嫁しているだけなのである。

 

国家のために子どもを生み育てよ、というタチの悪いスローガンに庶民が見向きもしないのは当然のことである。子どもを生むこと、子育てをすること、あるいは子どもを生まないことはあくまでも個人の志向によるものである。個人の問題に国家が介入することは絶対に許されない。国家がなすべきことは、個人の選択に基づく行為をフォローすることだけである。

子どもを持って当然という価値観を国家が強制するなんてことは絶対にあってはならないことである。

 

少子化によって起こるとされている社会問題を殊更に強調する者たちがいるが、その言説を鵜呑みにしてはならない。

壊れかけている既存の社会システムを無理やり守ろうとしているのは邪なわけがある。

少子化が常態化した社会でも庶民が安心して暮らせるような社会設計ができる英知が人にはあると僕は信じている。