希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

雑多な人たちがいる集団に身を置く経験が大切だという件

当たり前の話だがこの社会には様々な個性・経歴を持った人たちが生きている。イデオロギーや信条も異なれば、国籍や民族、言語も異なる雑多な人たちが渾然一体となって社会を形作っている。

この国のバカな政治家が「単一民族」という幻想を振りまくことがあるが、この国は見えにくいけれども他民族国家である。ただし、非常に均質化されていることも確かである。

 

国家や社会という大きな括りではなく、中間社会(地域コミュニティ、学校、会社等)という括りで見れば、僕たちは意外と均質化された集団に属している。

かつては地域コミュニティにしても公立小中学校にしても実にさまざまな人・生徒が雑じり合っていた。よく似た人たちが集う会社にしても時たま毛色の違う社員がいたりしてそれはそれで面白かった。

下町文化や山の手文化といったものが薄れ、均質的な住宅地、ニュータウンが増えると、そこの住民の子弟が通う公立小中学校も均質化する。似たような文化資本を有し、経済資本も大差ない集団が形成される。

 

僕は小中学校は地元の公立校に通ったのだけれども、そこでは雑多な生徒がクラスを形作っていた。金持ちの子どももいれば、今から振り返ると生活保護を受けている家庭の子どもがいたし、児童養護施設から通っている子どももいた。

今でもよく覚えている光景がある。

それは給食費のことである。当時は生徒が紙袋に給食費を入れて先生に提出する方式だった。クラスの中の数人は50円から100円程度の低額の給食費だった。無料の子どももいたかもしれない。その低額の給食費を払う子どもは他の子どもに茶化されたり、馬鹿にされたりしていたのだ。今にして思えば彼ら彼女らは生活保護を受給していたか就学援助を受けていたのだろう。子どもというのはとても残酷な生き物であって、彼らを「貧乏人」といった類の悪口を言って囃し立てていたのである。いじめの一歩手前である。僕の記憶は確かではないが、それらの出来事は小学校の低学年の頃だったと思う。

私立の学校でも勉強ができる子とできない子、運動が得意な子と苦手な子、身体が丈夫な子と弱い子などの差異はあるけれども、公立学校ではそれらに加えて家庭環境の「格差」が顕著であった。僕の友だちにも豪邸に住んでいる子もいれば、長屋に住んでいる子もいた。

僕は公立の小中学校でまさに雑多な子供たちが集う中で育ってきた経験がとても意義があったように思う。世の中には色々な人がいて、育った環境や価値観が異なる人たちがいることを身をもって体験することができたのである。

 

均質化された集団にずっと身を置くと、その集団での価値観に殉ずるようになってくる。ものの見方が偏ってくるおそれがある。

典型的なものはひとつの会社に身を置き、その会社のもつ風土や価値観に絡め取られてしまうことだ。あるいは会社という組織そのものに順応しすぎて、会社人間や社畜と称される多様な価値観が認められない状態になることである。

 

この社会は雑多な多種多様な人たちがともに関わりあって生きていくことに面白みがありダイナミズムがある。

僕の考えすぎかもしれないが、昨今は社会全体、国家レベルで均質化に向かっている傾向にあるように思えてならない。

もし、本当にそうだとするととても恐ろしいことだし、またとても下らなく面白くないことである。

世の中にはものの見方や考え方、生まれ育った環境が違う人たちがいる、という至極当たり前のことを僕たちは忘れがちである。

多様性を失った社会はとても生きづらい社会になる。