希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

サラリーマン生活は良いことが多いという件

僕はこれまでにサラリーマンという生き方を否定するニュアンスのことを幾つか書いてきた。

しかし、これは自分のふがいなさに対する裏返しの感情が含まれていたことは否めない。僕が真っ当にサラリーマン生活を送れないことに苛立ちがあったからだ。サラリーマンをすることに抵抗が無く組織に従属することに抵抗が無いのならば、勤め人としての生き方・働き方を選択することはベターである。

 

確かに現在の労働環境は劣化している。サラリーマンは気楽な稼業ではない。長時間労働やサービス残業を強いられ、意に沿わない転勤や異動も受け容れなければならない。

けれどもまともな会社に勤めていれば、毎月決まった額の給料を得ることができてボーナスもある。健康保険や厚生年金、雇用保険といった社会保障制度の恩恵を得られる。病気やケガで少々休んでも即クビにはならない。クレジットカードを所有でき、ローンを容易く組むことができる。

何より組織にどっぷり漬からなければ、会社を「利用」することができる。サラリーマンをしている時には気付かないが、サラリーマンから離れるとその利点が多かったことに気付く。

 

僕の父は50年近くサラリーマンをしていた。そのおかげで僕は学費のかかる私立大学を卒業することができた。生活が困窮したときには援助を受けることができた。父が亡くなっても、母は遺族厚生年金を受給することができて、慎ましいながらも普通の生活を送ることができている。現在の僕はまたその恩恵を受けて、必要以上に働かなくても済んでいる。

ただ、父はサラリーマン生活を望んではいなかった節がある。僕に対しては決してサラリーマンになれとは一言も言わなかった。小さい会社の経営者か地方議員になりたかったと洩らしたこともある。母と僕との生活を守るために自分の思いを押し殺してサラリーマン生活を続けていたのだ。結果としてその選択が我が家の生活の安定につながり、父の死後も母と僕がそれなりに暮らしていけるようになっているのである。

 

僕は自分の経験からもサラリーマンという生き方はなかなかに良いものだと思っている。ただ僕にはその生き方や働き方が向かなかっただけのことである。世のサラリーマンの人たちには素直に尊敬の念を抱いている。ただ、「サラリーマン根性」と呼ばれる行動様式に対しては否定的だけれども。

 

僕は二度とサラリーマンには戻らない(戻れない)が、世のサラリーマン諸氏には「誇り」を持ち続けて欲しいと思っている。と同時に自身が「労働者」であることを忘れずにいて欲しいとも思っている。

「労働者」としての誇りを持ち、当然に有する権利を主張して経営者の横暴に「抵抗」する矜持を持ち続けて欲しいと切に願っている。