希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

会社を信用するなという件〈再掲〉

会社は利益の追求のために存在している。

ごく一部の例外はあるが、ほぼすべての会社は社員の幸福なんて考えていない。

会社の利益のために使い倒すだけ使い倒してポイ捨てする。

会社とは所詮その程度のものだと割り切る態度が必要だ。

 

初出 2014/11/6

 

多くの人たちは会社や役所等の組織に属して働いている。組織に属しているからにはその組織のルールや掟に従わなければならない。仮に組織の掟が社会のそれと齟齬が生じるときには両者の板挟みになる。

 

会社や役所の不祥事の多くは組織の掟に従ったから起きたというケースである。例えば汚職はそれを引き起こした個人の問題であると同時に組織が持つ病理によるものが大半である。贈賄側と収賄側の馴れ合いが延々と続いていて、その馴れ合いが組織の掟になっていたりもするのだ。

組織で不祥事が起きると大抵は「トカゲの尻尾切り」がなされる。組織の掟に従った社員や役人が容赦なく切り捨てられ、組織の安泰を図ろうとする力学が働く。

 

会社は役所等の組織は自己保身のためには何だってするものだ。社員の都合など全く無視される。社員の会社に対する忠誠心への見返りなどない。かつては会社のために犠牲になった社員の家族の面倒を見たらしいのだが、今はそんなことはできなくなっているし、会社にそんな気もないだろう。

 

過労死過労自殺に至った社員に対しても会社の態度は冷淡である(多くの過労死裁判がそれを物語っている)。過労死をした社員の遺族に泣き寝入りを強いる会社も多い。

社員を死ぬまで働かせておいて、それを恥じたり罪の意識を感じることもないという非人間的であってもよしとする。それが会社の、組織の論理なのである。

過労死過労自殺に至らなくても、過重労働により心身を壊した社員に対しても同様に会社の態度は冷酷である。会社の体制や風土等に問題があるのに、社員個人の責任に転嫁する。

 

僕たちは会社べったりの生き方を考え直さなければならない。

たかだか一会社の利益のために、自分をすり減らしながら働くということにもっと疑問を持つべきである。

会社=人生、あるいは仕事=人生という価値観から脱する時である。

会社にどれほど忠誠心を示しても、それが報われることは殆どないのだと認識しておく必要がある。

 

社員を幸福にすることが社是だという会社があるが、それは単なる表向きの美辞麗句を並べたスローガンに過ぎない。

会社は社員を搾取して利益の増大を図ることのみが目的の一組織に過ぎない。ただ、このことをもって「悪」であるとはいえない。資本主義社会では利益の拡大こそが「善」であり、社員を搾取することは当然のことである。そこに倫理的・道徳的価値観を持ってきても意味はない。

 

僕たちはこれまで述べてきたような会社の論理を受け入れて働かなければならない。

会社の存続のためには、時には自分が理不尽な扱いを受け得ることを覚悟しておかなければならない。

 

要は会社を信用するな、ということである。