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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「人生設計」って本当に必要なのかという件

生きるということ 社会について考えてみる

生きていくうえで計画性が必要だとさも常識のように言われている。

確かに行き当たりばったりで計画性がない行動を続けていると「不安定」な人生になってしまう。多くの人たちが「安定」に価値を見出しているこの社会では安定に資するような人生設計が必要不可欠なものとなる。

 

僕たちは生きていくうちに様々な場面で人生設計が有意義であると刷り込まれる。例えば生命保険に入るかどうかの話を聞くにしてもライフプラン表なるものを見せられていかに計画的に人生を過ごすかが大切であって、その実践のためにも生命保険に入れと脅されるのである。

真っ当な人生とは学校を卒業してブランクなく正社員として勤め(大企業の方が良いとされる)、結婚して子を得て、持ち家を買って定年時にはローンを完済し老後生活に入るという人生設計に基づいたものだとされていた。このような人生設計通りの生き方をすれば勝ち組になれる、という幻想を多くの人たちは抱いていたのである。

 

人生設計を立てること、その通りに生きることが真っ当であるという考え方そのものがおかしいと僕はずっと思っている。そもそも人生なんて設計通りにはいかないものだ。病気になったり会社が倒産したりリストラされたり離婚したり、と人生では思いもよらぬ様々なことに出くわす。だからこそ人生は面白いのである。人生設計通りにいかないからこそ人生は面白いのだ。

 

人生を「設計」できる、「計画」できるという発想自体が傲慢であり、人生の何たるかを知らない浅はかさなのである。

たまたま思うようになれば楽しいし、思うようにいかないことに遭遇すれば立ち止まって考える、この繰り返しが人生である。

前もってあるべき人生を想定する行為は自分の生き方の幅をあらかじめ狭めるものであって、自分で自分の人生をつまらなくする愚行である。

 

僕は計画性のない行き当たりばったりの人生を賞賛したいわけではない。ある程度の方向性を定めることは必要である。どのような生き方をしたいかと自分に問い続けることも大切なことである。しかしそこに厳密さは不必要であって、ゆるく考えた方が良いと思っている。

 

殊更に「人生設計」の必要性を強調する者の顔を思い浮かべてみるとよい。自称コンサルタント・専門家たちの属性を見てみるとよい。

特にカネにまつわる「人生設計」を説く面々、ライフコンサルタントと称する保険屋、証券会社、銀行員、住宅・不動産業者等々は自分たちに都合のよい(自分たちが儲かる)「設計」を押し付けてカネ儲けのタネにしている。僕たちの「人生設計」が実際には「人生」を抜きにした「カネまわり設計」として粗製乱造され、時には膨大な額の借金を超長期ローンで組まされ、身動きが取れなくなる事態を招くのである。

「人生設計」はおいしいカネ儲けのネタになるのである。

 

「人生設計」なんてしなくてもよい、あるいはしたとしてもアバウトなものでよい。

計画通りにいかない人生をいかにうまくやり過ごすか、思うようにならない人生をいかに楽しく全うするか、を常に深く考え続けることこそが大切なのである。十のうちひとつでも思いのままになったら万々歳だ、というある意味悟った心境に至ることができれば面白いし楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

弁護士法人RESTA法律事務所